構わないって楽しい
子供の頃からずっと思っていたけど、あんまり大きな声では言えなかったことがいろいろある。なんで大きな声で言えなかったのか?マジョリティじゃない気がしていたのかな?理由はよくわからないけど。
最近特に思うことのひとつ。
人と違ってても、人と同じでも、どちらでも構わない。
そう言うと「いい加減」な「優柔不断」な「他力本願」なイメージを持たれるかもしれない。
でも、それが「私」。そちら側を選んだのは「私」というだけのこと。
自分のことなのに、人が決めた価値基準を当てはめるから変なことになる。
「自分は自分でいいねん、これが自分やねん」
そう思えたら、なんと楽なことか。
長いことね、このことに気づいていながら、なんとなく踏ん切りがつかないまま過ごしてきちゃってた。
他の国のことはよくわからないけど、日本には結構「皆同じ」って意識が働くことが多い。誰かと一緒だと安心する、そんな価値観が深く深く浸透している。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」そのもの。
あの人はこんなことしてる、この人はこれを持ってる、その人はあんなことを言ってる・・・etc
そんな事ばかりが見えたり聞こえたりして、焦ってしまっていた過去の自分。みんなやってる、早くしなくちゃ、持たなくちゃ、言わなくちゃ・・・同じでなくちゃ、早く、早く、早く・・・!
本当にそれがやりたい事なのか、言いたい事なのか、深く考えずただ焦っていたあの頃。
じゃあ、自分はどうしたいの?
そこに目を向けるようになったのは、前にも書いた「アドラー心理学」に触れてから。他人の目線じゃない、自分目線での生き方について考えた。
自分のやりたいこと、やってみたいこと、興味あること、声に出すこと。他人と比べる必要も、他人に認めてもらうことにも、なんの意味もないってこと。
自分が好きと思うことをしていいんや、自分ファースト!
もちろん、ルールやマナーは大切だからね。他人に迷惑かけちゃいけない。
決められたことは守って当たり前。だけど、その範疇外のことは自由でいいんだ。
ちなみに「どっちでも構わない」の中に、投げやり感は含まれていない。本当に純粋に「重きを置かない」「気にしない」ということ。
結局のところ「好きなように楽しんでいいやん、自分の人生やし」ってことだ(*´艸`)
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