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初任者のための地域おこし協力隊論 vol.1 ~私は地域おこし協力隊を「やってよかった」と思えたのか?~

地域おこし協力隊は年々増加しており、現在では7,000人を超える隊員が様々な地域で活動しています。総務省は2026年までに全国で10,000人にするという目標を掲げているとおり、この先もまだまだ活動の場が広がっていくことでしょう。

地域おこし協力隊といえば、自治体と隊員とのトラブルが大手メディアによって大々的に報じられるたこともありましたので、あまりよくないイメージを持っている方も多いのではないでしょうか。インターネット上を探せば、その手の記事はごまんと出てきます。一方で、成功事例の記事も少なからず存在していますので、探せば探すほど実態がよくわからなくなってしまうかもしれません。

新たに地域おこし協力隊に着任したとき、活動を始めたはいいけれども行き詰まってきたとき、あるいは応募しようか迷っているとき、少しでも参考になればと思い、私の経験をふまえた地域おこし協力隊論を記そうと思います。と言っておくと殊勝な心がけに思われることでしょう。実のところ私の思考の整理と記録として残すだけなのですが。

第1回の今回は私の協力隊生活の総括とそれに付随する考え方についてです。


都農町地域おこし協力隊としての5年間

制度としての地域おこし協力隊

今さらではありますが、地域おこし協力隊の制度について少しだけ触れておきます。
地域おこし協力隊は2009年から始まった総務省の制度ですが、世間一般にはさほど知られていないというのが現実だろうと思います。かく言う私も都農町に来ることになるまでこの制度のことは知りませんでしたし、普通に生活していても、地域おこし協力隊という言葉すら聞く機会は少ないと思います。ここでは詳しい説明の代わりに、総務省と地域おこし協力隊のサポートデスクを運営するJOINのサイトを紹介しておきます。新規任用者や応募検討中の方は、まずはここを押さえておくとよいでしょう。


ついでに、私の任地となった都農町についてはこちらを置いておきます。


地域おこし協力隊としての活動

2019年4月に都農町の委嘱を受けたことで、私の地域おこし協力隊としての活動は始まりました。通常は最大3年の任期ですが、コロナ禍における特例により2年延長、2024年3月31日をもって計5年間に渡る任期を終えました。
私が少し特殊なのは、この延長制度を活用したことではなく、まだ1年目が終わらないうちに、自身の隊員としての活動と並行して地域おこし隊員の受入団体の責任者として、多くの隊員の活動の管理・運営を行ってきたことにあります。おかげでかなりの知見がたまってきました。おそらくこのような経験をしている人は全国探してもさほど多くはないのではないかと思います。

そんな私が協力隊の任期中にどのような活動を行ってきたのか。詳細に書こうとすると膨大な分量になってしまうので、以前書いたnote記事を紹介することでそれに代えようと思います。事業はナマモノでして、書いたころから数年しか経っていないにも関わらず今の状況とは少々異なる部分もありますが、大枠としてはこちらをご覧いただければ問題ないでしょう。

結論:やってよかった

地域おこし協力隊論の第1回目のテーマに「私は地域おこし協力隊をやってよかったと思えたのか?」という問いを立てました。
結論から言うと、と言うにはここまでずいぶん前置きが長くなってしまったのですが、私は「やってよかった」と答えるでしょう。
では、なぜよかったと言えるのか。これは多分に個別事象でありますので、万人にあてはまるものではないこと(そもそも事例なんてそんなもの)を念頭に置いて読んでいただけると幸いです。

地域おこし協力隊でなくてもよかった

いきなり元も子もないことを言ってしまいますが、私の場合はたまたま地域おこし協力隊という制度を活用したというだけで、地域おこし協力隊でなくても構いませんでした。
先のnote記事にも記載した通り、私が都農町に移り住むことになったのは、都農町地域おこし協力隊として都農町で活動したかったからではありません。ツノスポーツコミッションが立ち上がるにあたって、旧知の宮城亮の声掛けのもと、これまた旧知の河野佑介とともに、それまでこの地域になかった新しい事業をつくっていくために都農町に移り住んだのです。町としてどのように推進していくかというときに、地域おこし協力隊という制度を用いることを決めてくれたので、私たちは都農町に移り住む際に地域おこし協力隊になりました。

そんなわけですので、応募することになるまでは地域おこし協力隊の存在も知りませんでした。応募する段に至っても、準備期間がほとんどない中で進めていたこともあって応募用のプレゼン資料をつくるために都農町のことはそれなりに調べましたが、地域おこし協力隊の制度については調べることもなく着任まで至ったというのが実際のところです。

このように、私は地域おこし協力隊であろうがなかろうが構わなかったのですが、結果的に地域おこし協力隊として採用されました。(もしかすると多くの隊員がこれと似たように、地域おこし協力隊になろうとしてなったわけではないように思います。)任期満了を迎えたこのタイミングをひとつの区切りとして活動を振り返るとするならば、これらの背景をふまえつつどのように評価するかが重要となります。

地域おこし協力隊としての自己評価

ここまで仰々しく書いてきたものの、そもそも今回は「やってよかったかと思えたのか?」という問いを立てていますので、これに回答するのはさほど難しいことではありません。極めて主観的な評価、他者の評価の入る余地がない答えを求める問いだからです。私の場合、この問いに答えるために振り返るべきポイントは2つでした。「自分の仕事ができたか」と「自分らしい仕事ができたか」です。
「自分の仕事ができたか」の意味は、事業を進めていく上で、今そこにある外部環境の中で求められている自分の役割を認識し、環境の変化に合わせて柔軟に変容させながら、その役割をまっとうできたと思えているかどうかです。そして「自分らしい仕事ができたか」は、自分が担うべき役割に対して誠実に、謙虚に、ひたむきに取り組むことができたかどうか、ということです。
私がこの2点において「できた」と言えるだけの仕事をするために必要不可欠な(それでいて私にとってはもっとも大切な)要素は、「誰と仕事をするか」です。ほとんどこれに尽きるのですが、その上で自分の仕事に対する姿勢が自分自身に恥じることなくできたのであれば、どちらも「できた」と言えるのです。そして今回の都農町での地域おこし協力隊という仕事は、この「誰と仕事をするか」の部分だけを理由に選んだので、私にとってはほとんどどう転んでも「やってよかった」という結論になることはわかっていた状況であるともいえます。そして本当にその通りになったということです。

充実感を大きくした副次的な効果

とはいえ、私が任期中に得られた充実感はそれだけではなかったこともまた事実です。
たとえば、当初考えていたことが実現していく過程に関わることができたり、当初考えてもいなかったような事業が人と人との組み合わせによって生まれていくのを目の当たりにしたり、この5年間で役割が変容する中で新しい経験やこれまでになかった考え方ができるようになったり、地域おこし協力隊という立場でありながらむしろよその地域から興味・関心を持ってもらえるようになったり、全国様々な地域や人とのネットワークが形成されたり、これまで歩んできたキャリアの中でもかなり苦しかった経験が明らかにここで役に立った実感があったり、任期満了後にも新しいステージが拓けていくような実感があったりと、(私にとっては)副次的な効果がとてもたくさんありました。
当然ですが、うまういかないことも山ほどありました。しかし、総じて、とても自分だけでは経験できないことが経験できましたし、地域おこし協力隊という制度の恩恵を十二分に受けたと感じています。

客観的な評価指標はあるのか

では、客観的な評価を求める問いを立てていたらどうだったでしょうか。誰が何をどのように評価するのでしょうか。
地方自治体が主体となって活用する制度であることから、その評価は自治体がするもの、と言っても差し支えなさそうです。たとえば、地域おこし協力隊はその性質上、定住・定着を求められがちなので、任期後にも住み続けているかどうかが一つの評価指標になっている自治体もあるかもしれません。ミッションに対して具体的な数値目標があればその数字をもって評価されることもあるでしょう。この事業のこの役割を担ってほしいという具体的な業務がある場合は、自治体職員と同じような評価方法を取るかもしれません。しかし、おそらくほとんどの自治体は明確な評価制度を持ち合わせていないのではないではないかと思います。また、そもそも地域おこし協力隊と自治体の評価とは相性が良くないのではないかとも私は考えています。これについては別のテーマで触れるつもりです。
もう一つの評価者は地域住民です。これは行政組織としての自治体ではありませんが、自治体における地域社会を構成する人たちという意味では、実質的には同じことを表している側面もあります。ただ、自治体以上に評価指標を持ち合わせていないことは間違いなく、もし地域住民の評価を知ろうと思えば、ほとんど主観的な判断に任せることになるでしょう。それは決して悪い意味ではありません。曖昧なようでいて、その地域にとってはそれはとても重要な評価指標でもあると思います。

さて、こう考えたときに、私の5年間の協力隊活動はどのように評価されたのか気になるところではありますが、それを明確に知る術は今のところありません。知らない方が本人のため、ということも容易に想像できますが、評価を知ることがない、ということもまた重要であろうと思います。評価は大いにしてもらって結構ですが、あえてそれを当人が知る必要はないだろうということです。

なぜこの問いを立てたのか

本当の結論はここからです。

自分の人生に責任を持つのは誰か

私は、地域おこし協力隊という制度は地方自治体にとって積極的に活用するに値するとても魅力的な制度だと考えています。少し特殊なのは、前提となる期待が都市部から地方への人口流入にあることです。ミッションや与えられた業務に対する成果が求められるのは当然ですが、自治体からすればまず移り住んでくれたというだけで、すでに目的の半分は達成しているようなものです。
そこに加えて地域課題の解決というそれぞれのミッションがあります。これまで自治体が取り組みたくても取り組めなかった地域課題の解決にチャレンジする、しかも最大3年間という期限のなかで、というのが地域おこし協力隊です。そして、そのチャレンジが成功しようが失敗しようが、任期満了を迎えたらあとは自分で何とかしてね、という制度です。
場合によっては継続して自治体職員として雇用に至るケースもあれば、自治体の業務を一部委託するようなケースもあります。これらは自治体の都合で決まります。どれだけ成果を出したとしても、その後の自分にはつながらない場合もあります。あたりまえすぎるほどあたりまえのことですが、自分の人生に責任を持つのは自分しかいないのです。

そう考えると、協力隊期間中の活動に対する成果を自治体が客観的な指標で評価することは、さほど重要ではありません。3年間なら3年間という期間を振り返ったときに、隊員本人がよかったと思えたのなら、それで問題なし、です。
ただし、これは、成果を気にせずにいい加減にやり過ごしても構わないということではありません。地域おこし協力隊は遊びではありません。仕事です。しかも税金を使った仕事です。地域に対する責任、自治体に対する責任、それは最低限果たすべきであって、それができないのであれば着任すべきではないのです。つまり、成果は成果として当然に求められるべきではありますが、あくまで、自立した社会人として自律した行動をとっていたのならば、活動の成果が十分に出なかったとしても過度に気にする必要はない、ということです。

自治体や地域住民は、こちらが意図しなくても評価したければ勝手に評価してくれます。それはそれとしてその評価の如何に関わらず、自分自身が納得のいく仕事ができて、その地方での暮らしにそれなりに満足できていたのならば、地域おこし協力隊の趣旨には十分に合致していたと言うことができます。
だから私は振り返るにあたって極めて主観的である「やってよかったと思えたのか?」という問いを立てました。
そしてまた、およそ自分の仕事を自分なりにまっとうできたならば、やってよかったと言えるのではないかとも思うのです。それが退任直後ではなかったとしても。

これから地域おこし協力隊として活動する方へ

地域おこし協力隊に着任したばかりの方、これから地域おこし協力隊になろうと考えている方、ぜひあなたが選んだ地方での仕事を、生活を充実させてください。長くてもたった3年間。任期を終えたあと、いろいろ大変なこともあったけどやってよかったな、と言えるよう願っています。
人生を充実させる方法はあなたしか知りません。

私は私なりに経験したことに基づいて、もしかしたら少しは役に立つかもしれないことを書いていくつとりです。なるべく背中を押されるような内容にしたいと思っています。活動中に壁を感じたときなど、たまにのぞいてみてください。

<つづく>


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石原英明 ―チリチリウォーズマン―
自分の真意を相手にベラベラと伝えるだけが友情の行為ではないということさ。それがわたしの提唱する真・友情パワーだ…(キン肉アタル)