5ヶ月note を書いて感じた率直なこと。
7月ごろからnoteを本格的に使い始めた。
途中まで並行して使っていたアメブロもやめて、今ではnote1本。
アメブロとは使い方も、書いている層もまったく違った。いいことも、落ち込むこともたくさんあった。今日は今年のまとめとして、感じたことを率直に書いてみようと思う。
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もしも友人から「ブログを始めたいけどどこがいい?」と聞かれたら、「とりあえず勢いでやってみたいならアメブロ。エッセイとかコラムを書きたいならnote」と答える。
最初は新鮮でページを開くだけで楽しかったnote。
けれど次第に、わたしはひとり勝手に拗ねるようになっていった。
書くのも恥ずかしいのだけど、自分よりもフォロワーさんが増えていく人を見れば嫉妬し、たくさんのスキがついている記事を羨んだ。
どうすればもっと見てもらえるか…と書き方を変えてみたり、苦手なツイッターに取り組んでみたりもした。編集部のおすすめにいつの日かは載りたい…と夢見ながら。
でも、なかなか思うようにいかなくて、日に日に「・・ふん。どうせわたしの記事なんて目に留まらないんだ」と拗ねるようになっていった。
たくさんのおもしろい企画が立ち上がる「お題企画」も、書いたところでピックアップされるわけないし・・と最初から書くことを諦めた。
毎日目にするおもしろい記事の数々に、少しだけ持っていた「文章への自信」はどんどんなくなっていった。
note内で人気がある方々がピックアップされるのを見て、「別世界だな・・」とまた拗ねた。
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わたしは寂しかったのだ。
こんなにnoteが好きなのに、愛用しているのに、なかなか振り向いてもらえない気がして。ここにいるよ!!と毎日小さく叫んでいるような気持ちだった。
いやいや待てよ。たくさん読まれる文章には理由があって、あなたその努力したの?羨んでばかりで馬鹿じゃない?
と、言われたら「あはは…そうですよね」としか言えないけれど、その正論を投げられたらぺしゃんこになってしまう。ので、そっと読み進めてもらえるとありがたい。
そんな拗ねる自分を発見したnoteだけど、これってアメブロとか他のブログではあまり味わわない葛藤だった。アメブロはそもそも商用利用の人が多く、自分の講座の売り込みとか、怪しげなビジネスとか「あなた何物?!」みたいは人もたくさんいた。
でも、noteは違う。恐らく自分と感覚がちょっとだけ近しい人が多い気がするのだ。
だからこそ、寂しかった。
どうしたら振り向いてもらえるんだろう・・と悲しかったのだ。
それでも、わたしの文章を毎日読んでくださる方々がいる。あたたかいコメントをくれる方々がいる。拗ねながらも毎日書き続けられたのは、そんな人たちがいてくださったからだ。
noteはあったかい。
たとえ拗ねても、やめようとは思わない。
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さて、そんな2018年のnote振り返り。わたしはここからどう進んでいけばいいのか考えた。
・「ちゃんと」「真面目に」書こうとするのをやめる
→noteはちゃんとしたものを書かねば!!と勝手に気負っていた。関西弁も封印していた。これからは、もっとわたしの素が出るような文章を書いていきたい。関西弁だって使うで。
・いずれ見つけてもらえる!と気長に挑戦する
→「編集部のおすすめ」に載ることは相変わらずの夢だ。そして多くの人に知ってもらって、読んでもらいたい。だから、お題企画にどんどん参加してみる。(お題があって書くという経験は意外としたことが無い。学校の課題以外では)
・もうちょっと交流しにいってみる
→最初の頃は勇気を出して知らない方でもコメントをしたりしていた。次第に「・・どうせわたしがコメントしてもな」と拗ねて、書かなくなっていた。noteの素敵な人たちともっと仲良くなりたいから、もうちょっとがんばってみる。
年末の疲れた脳みそでは、この些細なけれど大きな3つが精いっぱいだった。
こんな記事を書かせるんだから、noteったら罪な人♡
来年の今頃は、また違った形で振り返っていることを想像しながら、わたしのnote初年編振り返りを終わります。きっと、もうすぐそこに何かがあるはずだぜ(希望)