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*「断らない」という選択

誰かからお誘いを受けたとき、先約がない限り基本的には断らない。仮に自分の中でやろうと思っていたことがあったとしても、それはまた別のときでいいかと後回し。

例えば、仕事終わりの夜ご飯のお誘い。
冷蔵庫の中にある食材やらなんやらを頭に思い浮かべながら「あれ賞味期限切れるから使いたいんだよな〜だからあれ作ろうと思ってたんだけどな〜」と内心では思いながらもOKの返事をする。

こういうとき、私は断ることを知らなかった。

自分の中では「断らない」という選択をしているつもりだった。よっぽど嫌なら断るだろうと思っている。だけど実際には、単純に「断れない」だけなのかもしれない…ということに最近気づいた。

「断らない」のではなく「断れない」性格であること。なんとなく自分で認識するようになった。


そうなったときに今度は、「断れない」ことで自分の時間を失くしているのではないか?という疑問が生じてきた。

「断らない」と思っていたときは自らの選択でその時間を人と過ごすことに当てていたけど、「断れない」となればそれは自分のために使いたい時間を犠牲にしているような感覚になった。

それはちょっと嫌だなと思った。

そうしたら、自分の時間を大切にしたくなった。

自炊したいからと夜ご飯のお誘いを断る人の存在をちょっと羨ましく感じた。


そんな休日、「明日の朝パン散歩どう?」というお誘いをいただいた。近所のパン屋まで歩いて買いに行こうというお誘いだ。普段なら躊躇なく「行きましょう」と返事をするところ、意識的に自分の都合を優先して断ろうと考えた。

買ったばかりの食パンが家にあること、お昼ご飯用に買った食材があったこと、明るいうちに部屋の片付けをしたかったこと、あわよくば靴を洗おうと思っていたこと…

いろんな自分の都合を並べてみた。

でも結果、断らなかった。
その人と散歩できるのもあと少しかもしれなかったから。それを思ったら自分の都合なんてどうでもよくなった。丸一日散歩する訳じゃないし自分のことはいくらでもなんとかなるだろうと。


結局ね、自分は自分の時間よりも人との時間を優先させたいんだってことに気づいた。

もちろん自分の時間は大切だと思う。大切にしたい。でも、それを優先させることよりもずっと、好きな人たちと過ごす時間の方が大切なんだよね。


書いてて気づいた。自分は、ものごとや都合じゃなくて、人を第一の基準に選択しているんだな。

お誘いしてくれた相手が誰なのか、相手の状況はどうで、どうしてお誘いしてくれたのか、そんなことを考える。

お誘い内容は二の次な気がする。何をするかより、誰と過ごすか。人を見て選ぶのってなんだか嫌な感じに捉えられることもあるかもしれないけれど、人間なんだからそういうこともあるよね、と開き直ろう。


たしかに「断れない」性格なのかもしれない。自分がしんどい時や気乗りしない時でも相手の都合に合わせて付き合って後悔することがある。

でも、それでもいいというか、自分が大切にしたいことがわかった今、「断らない」とか「断れない」とかはどうでもいいことだった。自分がどうしたいかをシンプルに考えるだけ。

「断れない」だけかもしれないけれど、そう捉えたらしんどくなるから、自分で「断らない」選択をしたと思えばいいじゃん。

そういう考え方が私には合ってるや。



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ちんたらとろこ
最後まで読んでいただきありがとうございます。少しでも「スキ」と思っていただければ嬉しい限りです。