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メモ帳供養 その三「湯治」

こんにちは、魚亭ペン太です。メモ帳のデータがいっぱいになったので整頓がてら書きかけの作品を供養していこうと思います。以前に投稿したものと重複することもありますが、お付き合いいただけたらと思います。(誤字訂正8/1)

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「君は旅行客か。旅先でそんな疲れた顔をして……何、仕事が辛い? 休暇が終わるのが憂鬱だと。そりゃそうさ、誰だって嫌なことを想像すれば辛い。だからといって我慢しろとは言わないが、こう、体の労り方を知らないのは良くないな。せっかくの旅先なんだ、ほら、いいから付いてきな」

そうして私は老人に連れられ、山間を歩いて湯治場へと向かうことになった。

道らしき道はあったが、獣道ならぬ湯治道というべきか、木の根や岩に細心の注意を払いながら進んでいく。様々な人が利用してきたからか繰り返し人が通ったことでそれらしき道が出来上がっている。

道中、岩盤が記念碑の代わりなのか、多少開けた場所へ無造作に置かれている。そこに彫り込まれた文字には湯の効能が記されており、読み上げてみる。そこにはよく聞くものもあれば、半ば信じられないものさえあった。

きりきず、末梢循環障害、うつ状態、恋の病、皮膚乾燥症、家庭問題、疲労回復、物欲、筋肉痛、仕事の悩み、肩こり、創作意欲、高血圧、将来の不安、やけど、慢性皮膚病、美肌作用、癇癪、関節痛、不倫の悩み、動脈硬化症、疑心暗鬼、リウマチ、食欲不振、創傷、不眠症、婦人病、あがり症、運動障害、肌のたるみ、目の隈、滑舌、しもやけ、腺病、親戚づきあい、神経痛、孤独、口臭、胃腸病、足の臭い、皮膚病、同僚への不満、痛風、ニキビ、慢性皮膚病……

湯の効能というよりも、人間の欲をかき集めたかのような文字の羅列は、結果的にこの湯が万能であると謳っていた。

湯に浸かるだけで、これらのすべての体の症状や心の不安が治るのであれば、人生に苦労することなんて何一つないだろう。私は心のなかで笑ってやった。

「ここに彫り込まれたのは実際に湯治をした人たちが彫り込んだものだ。まぁ、それを信じるかどうかは湯治をした人たち次第だが、多くの人がそのようにしてきた。そして、同じ悩みを持つ人の悩みを解決した。もしかしたら君の悩みはまだ誰も言葉にしていないかもしれない。君は治したいと思わないのかい」

「できることならこの人間不信を治したいですよ。その気持ちなら他の誰よりも強い」

「そうか、君はこれ以上裏切られたくはないということか。それならなおのことだ。君の体にまとわりついた不安は洗い流すべきだ。だが、その前に彫り込むべきだ」

それはおかしい。治ったことを報告するためにここに彫り込むのではないのか。私の表情をみて老人は静かに笑った。

「湯治は一種の祈祷だ。治したい症状を彫り込んで湯に浸かる。そうして治ればその効能は真実になる。治らなければそれまでのこと、何をしても君の症状を治すことは、君の命が果てるまで永遠に無理だろう。しかしあとから来た者はそれを信じて湯に浸かる。信じたものは効能を得られる。この湯はそういうものなのだ」

「それは人を騙しているのではないですか」

「そうだ、人は真実だけでは生きていけない。時に必要であれば人は人を騙す。湯治へ来る者はこの湯の効能を想像する。そしてその湯は浸かる人の症状を和らげ安らぎを与える。治る姿を想像して湯に浸かることであらゆる悩み、不安から開放される。君を治すのは君自身だ。誰も君を治すことはできない。君が信じるものが君を癒やす。君の疑うものが君を傷つける。その疑心を脱ぎ捨てて君は湯治に赴くべきだ。そうは思わないかい」

私が岩盤に文字を彫り込んで、更に進んだ先、山奥の湯にたどり着く頃、老人の言葉とその姿はなかった。まるで狸か何かに化かされたかのようであった。

もしかしたら、あれは湯治の神であったのかもしれない。

しかし、その考えも湯に浸かる頃にはどうでもいいことになっていた。

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魚亭ペン太(そのうち公開)
美味しいご飯を食べます。