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岩波少年文庫を全部読む。(20)イソップ寓話は「古代ギリシア文学」なのか? 河野与一編訳『イソップのお話』

(初出「シミルボン」2021年2月11日

教訓とは一般論である

 拙著『人はなぜ物語を求めるのか』(ちくまプリマー新書)で書きましたが、物語というものは個別の事態を報告するものです。

いっぽう、その物語から抽出される教訓は一般論です。「個別vs.普遍」のお話です。

イソップ寓話の物語部分で、旅人のコートを脱がせようとして北風は失敗し太陽は成功しますね。これは一度きりの個別のできごとです。いっぽう本文末尾の教訓部分はストーリーを〈説得が強制よりも有効なことが多い〉と一般化します。

 拙著で引用した〈説得が強制よりも有効なことが多い〉は中務哲郎訳の岩波文庫に依拠しています。

 河野与一訳の岩波少年文庫では、

いいきかせるほうが、むりにおしつけるよりも、効きめのあることが多いものです。〔21頁〕

となっています。

 人は個別の逸話から、一般論的メッセージを抽出してしまいます。新聞投書やSNSで見かける逸話や見聞は、そういう一般論的仮説(教訓。合ってるか合ってないかは不問)を引き出す快楽のために消費されているようです。

 このように、個別の報告事例を一般化してしまうのは、人間の脳の「やりたがる仕事」であって、自然科学はそのもっとも慎重な(安易な一般化に抗うという意味で)、かつ洗練された姿だと言えましょう。

アイソポスはギリシア人だったが…

 イソップは英語名。ギリシア語ではアイソポスヘロドトス『歴史』(430BC。松平千秋訳、岩波文庫)に記録されている寓話作家で奴隷だったとされる人物(620?-564?BC)です。多分に伝説的な人物ながら、実在はしていたらしい。

 しかしその寓話集のギリシア語原文は残っておらず、そもそも存在したことがあったかどうかすら不明だといいます。だからイソップ寓話はホメロスの叙事詩や古代ギリシア戯曲のような意味での「古代ギリシア文学」ではないかもしれません。
 いずれにせよ、ガイウス・ユリウス・パエドルスのラテン語作品『イソップ風寓話集』(1世紀前半、岩谷智訳)やバブリオスのギリシア語作品『イアンボス詩形のイソップ風寓話集』(1世紀後半、西村賀子訳)といった「パスティーシュ」(と言っているが本家との境目も曖昧な作品。いずれも《叢書アレクサンドリア図書館 》第10巻『イソップ風寓話集』国文社所収)が存在している以上、かなり早い時期からイソップ寓話が人口に膾炙していたのは間違いありません。


 イソップの名に帰される寓話は、時代もバラバラのさまざまな、おもにラテン語の写本から集められた雑多な素材の集合で、どこまでがギリシア種かすらもはっきりしません。イソップ寓話には『創世記』同様、古代オリエント起源のストーリーを見出すことが多いのです。たとえば狐の友情を裏切った鷲に神罰が下る本書所収の「ワシとキツネ」(59頁)は、アッカド文学「エタナ物語」に同様の話が見えます。

 また、どちらが先かわからないものとして、亀が鷲に自分を摑んで飛んでくれとせがんで落ちてしまう「カメとワシ」(55頁)と、3世紀インドの寓話集『パンチャタントラ』田中於菟弥+上村勝彦訳、大日本絵画巧芸美術《アジアの民話》第12巻)第1巻第13話「亀と二羽の白鳥」があります。伝説のアイソポスは『パンチャタントラ』より古いのですが、イソップ寓話の写本はたいてい『パンチャタントラ』の写本より新しいんですよね。

 この話、『今昔物語集』では天竺ネタとして巻5第24話「亀、鶴の教へを信ぜずして地に落ち甲を破る語」となっています。

 イソップ寓話はちょうど、『アラビアン・ナイト』が必ずしも「アラビア文学」ではない、という意味で、いやそれ以上に、必ずしも「古代ギリシア文学」ではないのでしょう。いずれも東西間で物語が伝播し、やりとりされていった結果としてできあがった物語群だといえます。

 その伝承の初期については、小堀桂一郎『イソップ寓話 その伝承と変容』(1978。講談社学術文庫)の第1部第3章が参考になります。

教訓は教育的か?

 イソップ寓話は必ずしも子どもに向けて作られたものではありません。

 しかしいっぽうで、福沢諭吉が米国土産のイソップ本を児童向けに文語訳して西洋修身道徳例話集『童蒙をしへ草』(1872)に収録したのが日本近代の児童文学の出発点のひとつだ、というのもまた事実。

 それは先述の『パンチャタントラ』が王族子弟の教育用に編纂されたとされることとも関係があります。この点をもって『パンチャタントラ』を世界最古の児童文学と呼ぶ人も。しかし同書には『デカメロン』ばりの間男小咄など、いわゆる児童文学の範疇を逸脱した話もあったりしますけどね。

 岩波少年文庫版イソップ寓話は、426話収録のカール・ハルム校訂版(1901)と362話収録のエミール・シャンブリ校訂版(1926)を底本に、

そのうちから少年文庫の読者にこれだけはぜひ読んでいただきたいというお話三〇〇を選び出しました。
 〔…〕ここに選んだ三〇〇のお話のうちにも、お話のいちばんしまいについている教訓が、今日の私たちの考えかたからみてなっとくのいかないものの、すくなくありません。なかでも、強いものには、はむかってはいけないといったような教訓が多く見えるのは、このイソップのお話のできた時代のふつうの人びとが、いかにもみじめな暮らしをしていたからだと思われます。このイソップの教訓については、みなさんが、これをそのまま、うのみにしないで、よく考えて読んでくださることを希望いたします。〔訳者による「あとがき」323-324頁〕

 あとがきの日付は1955年。そして本書のカヴァー表4の惹句に添えられた推奨読者年齢は〈小学3・4年以上〉です。8歳にもなれば、リアルタイムの規範と過去の作品の規範との相違を相違として読めるはずだ、という信頼が好もしいではありませんか。

 完成した作品の文章を書き換えたり、言葉を置き換えたり、最悪のばあいには絶版にしたりすることがアップデートと呼ばれて、リアルタイムの規範を相対化することから人を遠ざける傾向の強い昨今から見れば、じつに成熟した読者観、児童観だと思います。

 本書の構成は、冒頭に「有名なおはなし」15話を起き、以下キャラクター別に「キツネ」「鳥 I」「人間 I」「オオカミ」「虫 その他」(無生物も含む)「人間 II」「ライオン」「植物」「人間 III」「イヌ」「人間 IV」「ロバ その他」「鳥 II」「シカ・サル」「人間 V」「ウシ・カエル・ヘビ その他」「ラクダ・ウサギ その他」「鳥 III」「人間と神」と章立てされています。

Αἴσωπος, Fabulae Aesopicae
1955年7月30日刊、2000年6月16日新装版
河野与一編訳、稗田一穂挿画。巻末に河野与一「あとがき」を附す。

アイソポス 伝説的な寓話作家。紀元前620年ごろに生まれ、サモス人イアドモンの奴隷だったとされる。寓話を語りながらギリシア、バビロニア、リュディア、エジプトを遍歴したとも言われる。紀元前564年ごろ歿したとされる。

河野与一 1894年神奈川生まれ。神戸で育ち、東京帝大哲学科卒業後、暁星中教師、京都三高・法政大・東北帝大教授としてフランス哲学や古典語を講じ、のち岩波書店顧問。『プルターク英雄伝』の翻訳で読売文学賞を授賞されるが辞退。著書に『新編 学問の曲り角』、訳書に『アミエルの日記』、ライプニッツ『単子論』、シェンキェヴィチ『クォ・ヴァディス ネロの時代の物語』(以上岩波文庫)、ロンゲン『山にのまれたオーラ』(岩波少年文庫)、共訳にトルストイ『芸術とはなにか』(岩波文庫)など。

稗田一穂 1920年和歌山県田辺生まれ。大阪で育ち、東京美術学校日本画科卒業。東京芸大美術学部日本画科教授をつとめた。創造美術展奨励賞、文化功労者。画集に『ふるさと紀州を描く』(郷土出版社)、絵本にいぬいとみこ『しらさぎのくるむら』(福音館書店)など。

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