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岩波少年文庫を全部読む。(18)寄る辺なき少年の、ありえないけどあらまほしき都市小説 エーリヒ・ケストナー『エーミールと探偵たち』

(初出「シミルボン」2021年1月28日

少年の寄る辺なさが刺さる

 冒頭で少年が窮地に陥って寄る辺ない感じになってしまうお話に、僕は弱い。
 バラージュ・ベーラ『ほんとうの空色』(1925。徳永康元訳、岩波少年文庫)とか、三木卓の(いちおう大人向き小説ということになっていますが、ヤングアダルト小説と見なしていいでしょう)『かれらが走りぬけた日』(1978。集英社文庫)など、何度読んでも胸が締めつけられます。

 スピルバーグが映画化したジェイムズ・G・バラードの自伝的小説『太陽の帝国』(1984。山田和子訳、創元SF文庫)が忘れられないのも、きっとそのせいです。

 なんなら窮地というほどでもなくうっすらと寄る辺ない宮澤賢治『銀河鉄道の夜』(1931未完。岩波少年文庫)でも、銀河鉄道に乗る前の部分がいちばん好きなのです。

 エーリヒ・ケストナー『エーミールと探偵たち』(1928)も少年の寄る辺なさから出発する作品で、『ほんとうの空色』『銀河鉄道の夜』と同時代に書かれました。

大戦間ベルリンを舞台とする都市小説

 主人公エーミール・ティッシュバイン12歳は、ノイシュタットの実科学校(10歳から16歳くらいまで。卒業生は大学に行かないことが多い)の生徒。父親は早く病死しており、美容室を経営する母と暮らしています。

 休暇に母方の祖母と従妹ポニー・"ヒュートヘン"・ハイムボルトを訪ねて、ベルリンに「上京」します。に会いに行くことになります。そして汽車で居眠りしている間に、相席のマックス・グルントアイスなる人物に現金140マルクをすり取られてしまうのです。

 文なしで欧州の(敗戦国とはいえ)メトロポリスの玄関口・ベルリン動物園駅にひとり降り立ったエーミール少年は、地元の少年たちのいわゆる「チーム」のネットワークの力を借りて、グルントアイスの跡を追っていきます。

 ベルリンの少年たちの義侠心は冷静に考えれば「生物的にありえない」レヴェルのものに思えます。主人公を理解してくれる大人が都合よく登場するのもご愛嬌。大戦間ベルリンを舞台とする都市小説としての魅力の前には、そんなことはさほど気にならなくなる。

ベルリン「一座」の粋な連携プレイ

 というか、ケストナー作品の多くは、「ありえない」と「あらまほしい」とのバランスが絶妙で、「自分もかくありたい」と読者に思考・行動の変容を上手に促す出来に達していると言っていいでしょう。

 これがなまじの「きれいごと」とは一線を画した、「地に足のついたきれいごと」であることについては次回、続篇『エーミールと三人のふたご』の回で実例を挙げる予定です。お楽しみに。

 ベルリンで出会う人物たちは、行動のうえでも、またプロット構成のうえでも、絶妙な連携を見せます。

 豆腐屋みたいな空気袋つき喇叭を持ち歩く〈クラクション少年〉グスタフ、頭脳明晰な司令官の〈教授〉ことテーオドル・ハーバーラント、尾行と連絡のエキスパート〈火曜日〉(ディーンスターク)などの少年たち、ノイシュタット地区を担当するハインリヒ・イェシュケ巡査部長、そして懐の深い祖母と活発な従姉。

 まさに「一座」と呼ぶにふさわしい顔ぶれです。

語りの自己言及

 この作品はまた、冒頭に長々とした作者自身のイントロがあって、そこで作者=語り手ははっきりとしたひとりの人格を読者に印象づけています。このおじさんの語りになら、信頼を置いてついていくことができるだろう。そのような親しみを、年若い読者に感じさせ、その心を開くのです。

 さらにこの〈ケストナー〉さんは、ベルリンで展開するストーリーに新聞記者として姿をあらわします。まずは前半、お金を失った主人公にお金を貸し、終盤には少年たちの活躍を記事に取り上げたりと、思わぬメタフィクショナルな形で主人公たちをサポートします。

 北杜夫トーマス・マンなど20世紀ドイツ文学の技法やセンスを日本語でトレースしようとした、珍しい小説家です(広く「20世紀ドイツ文学」とすれば、カフカの影響を受けた日本の小説家ならたくさんいる、ということになりますが)。

 その『さびしい王様』を筆頭とする若年層向けの作品には、間違いなくこのケストナー流の洒脱な自己言及が見られるのです。

Erich Kästner, Emil und die Detektive (1929)
2000年6月16日刊。ヴァルター・トリアー挿画、池田香代子訳。訳者あとがきを附す。

エーリヒ・ケストナー 1899年ドレスデン生まれ。父はユダヤ系。ライプツィヒ大学卒業後ベルリンで詩、児童文学、小説を発表。『わたしが子どもだったころ』(岩波書店)で国際アンデルセン賞。他にビューヒナー賞。作品に『飛ぶ教室』(岩波少年文庫)、『サーカスの小人とおじょうさん』(講談社青い鳥文庫)、『一杯の珈琲から』(創元推理文庫)、『人生処方詩集』(ちくま文庫)など。1974年歿。

ヴァルター・トリアー(Walter Trier) 1890年、プラハのドイツ語使用ユダヤ系の家に生まれる。ミュンヘン美術院に学んだのちベルリンで活躍。ロンドンを経てカナダに亡命。ケストナー、キプリング、マーク・トウェインらの作品に挿画をつける。1951年オンタリオ州クレイグリースで死去。

池田香代子 1948年東京生まれ。都立大人文学部ドイツ文学科で種村季弘に師事。アキフ・ピリンチ『猫たちの森』(ハヤカワ文庫)の訳で日独翻訳賞。著書『魔女が語るグリム童話』(宝島社文庫)、共著に『世界がもし100人の村だったら』(マガジンハウス)、訳書に『完訳グリム童話集』(講談社文芸文庫)、『パブロ・カザルス 鳥の歌』(ちくま文庫)、ゴルデル『ソフィーの世界 哲学者からの不思議な手紙』(NHK出版)、H・G・エーヴェルス『タイタン遠征隊』(ハヤカワ文庫)、フランクル『夜と霧』(みすず書房)など。

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