岩波少年文庫を全部読む。(40)すべての終わり クライヴ・ステイプルズ・ルイス『さいごの戦い』
(初出「シミルボン」2021年7月1日。
原題「(終)世界が終わり、この連載もnoteに移行します。」)
ナルニア最後の日々
『魔術師のおい』に続くシリーズ第7巻、完結篇。
作者の意嚮に添って作中世界の時間順に再配列した光文社古典新訳文庫版でも最終巻です。
ナルニア国の終焉を物語ります。
本作はスピンオフ的な第5巻『馬と少年』同様、最初から異世界(ナルニアが存在する世界)を舞台としています。
アレゴリーの伝統
川のほとりにいた狡猾な猿・ヨコシマ(Shift)の前に、ライオンの皮が流れてきます。ずいぶん唐突な展開ですが、ここはルイスの創作の機動力であるイメージの力と、ルイスの物語の骨子を支えるアレゴリーの力が、うまく噛み合って出力された場面といえます。
ルイスには『愛とアレゴリー ヨーロッパ中世文学の伝統』(1936。玉泉八州男訳、筑摩叢書)という研究書があります。中世ヨーロッパでは寓意物語(アレゴリー)が書かれました。ギヨーム・ド・ロリスの『薔薇物語』正篇(1230?)と、ジャン・ド・マンによるその続篇(1269?)が有名です(篠田勝英訳、ちくま文庫)。
『薔薇物語』のとりわけ正篇では、〈歓待〉〈理性〉〈純潔〉〈嫉妬〉といった名前の擬人化キャラクターが多数登場します。
寓意物語は近世初期まで書かれており、護教文学として有名なジョン・バニヤンの『天路歴程』(正篇1678年、 続篇1684年。竹友藻風訳、岩波文庫)にも主役のクリスチャン(ふつうの名前だが、もちろん「キリスト教徒」の意味)をはじめ〈偽善〉〈慈悲〉〈羨望〉〈迷信〉などと名づけられた擬人化キャラクターがこれまた山盛りあらわれます。
ヨコシマにしても、その子分である驢馬のトマドイ(Puzzle)にしても、その露骨なネーミングはこういったアレゴリーの伝統の流れに棹さすものなんですね。
ポストモダンなブリコラージュ
ヨコシマは、子分であるおつむの足りない驢馬のトマドイにライオンの皮を着せ、贋アスランに仕立て上げます。ナルニア時間で数世紀、アスランは姿を見せていなかったので、容易に騙せると踏んだのです。
時のナルニア王ティリアン(瀬田訳では〈チリアン〉)は、アスラン出現の風聞を聞きつけますが、ケンタウロス(ギリシア神話由来。瀬田訳では〈セントール〉)の占星術師は天が凶兆を告げていると警告。そこに木の精ドリュアデス(ギリシア神話由来。瀬田訳では〈ドリアード〉たち)が棲んでいる木々がどんどん切り倒されているという報せがきます。
ティリアンが一角獣(ユニコーン)のたから石(Jewel)とともに国境の森にかけつけると、カロールメン国の男たちがナルニアの人語を発する動物たちを酷使して、木を伐採し分捕っているではありませんか。しかもその行為はアスランの命令に従っているのだというのです。
ギリシア神話由来のケンタウロスやドリュアデスと中世文学的なユニコーンの共演もまた、《ナルニア国ものがたり》のポストモダンなパッチワーク的ブリコラージュの面目躍如といった趣です。
ナルニアの友、大集合
非戦闘員のカロールメン人を斬り捨てたことを悔いた王は、たから石とともにアスランの裁きを受けるべくカロールメンの虜囚となります。
連行された先では、カロールメンと通じたヨコシマが大威張りで、アスランとはカロールメンで信仰される残酷なタシ神のことであると主張し、ナルニア人たちを「アスラン」の命令によって労働に駆り立てます。王はヨコシマの奸計を見抜き、真のアスランに救いを求め空に呼びかけます(これはなかなか旧約聖書的な状況です)。
すると第4巻『銀のいす』の主役だったユースティス・スクラブとジル・ポウルが忽然と現れます。
ふたりによれば、数日前、ナルニア行き経験者たちが寄り合っていたところにティリアン王の姿が現れ、ナルニアのピンチを報せたのです。それで彼らは前作『魔術師のおい』に出てきた指輪を取りにロンドンへと鉄路で急いでいるとき、事故のような大きな衝撃を受けてここへと飛ばされたのでした。
このあと、ディゴリー(カーク教授)以来の歴代ナルニア経験者が勢揃いするのは、夏休み映画の仮面ライダー大集合のような味わいがあります。
ナルニアの危機に呼ばれる人、呼ばれない人
ただし、ペヴェンシー兄妹の第2子長女スーザンだけはそこにいません。第3巻『朝びらき丸東の海へ』でスーザンが「米国のノリに合ってるから」という理由で父の渡米に同行して不在だったのは、最終巻での不在の伏線だったのでしょう。
どういうことか? ティリアン王に長兄ピーターが弟エドマンドと妹ルーシーを紹介すると、王はピーターに妹はふたりだったはすだが、と訊ねます。すると、
エドマンドやユースティスのような問題児がナルニアの友へと成長したのにたいして、長期間王までつとめたスーザンが俗物に堕してしまったと言われているのは、これはなかなか辛辣。
しかしまた、そもそも彼ら〈ナルニアの友〉たちがここにやってきたとき、彼らがいたもとの世界で彼らがどうなっているのかを考えると、ますますショッキングなことでもあります。
読者慰撫的な生ぬるい物語に浸りがちな現代日本の読者には激辛な結末です。アスランも、第1巻『ライオンと魔女』では精神分析家ドナルド・ウィニコットの言う〈移行対象〉のようだったり、あるいは発達心理学で言うイマジナリーコンパニオン(イマジナリーフレンド、IF)のようだったりするのですが、本巻ではその圧倒的な他者ぶりが際立ちます。
こういう厳しさ、語の深い意味でのリアリズムこそが《ナルニア国ものがたり》の強みのひとつであり、他の児童文学作品にはひょっとするとあまり見られない特徴かもしれず、大人になって本シリーズを読んだ僕は、これを児童期に読んでいなかったことを残念に思うと同時に、遅ればせにでも読めてよかったなとも思うのでした。
7週間にわたっておつき合いいただきました《ナルニア国ものがたり》全作レヴューは、これで終了です。
(2023年4月3日追記 昨年7月から9か月40回にわたって公開してきたシミルボン版『岩波少年文庫を全部読む。』移植シリーズも今回で終了いたします。第41回以降は、一昨年7月から続けている本連載となります。有料マガジンです。お勧めします)
Clive Staples Lewis, The Last Battle (1956)
ポーリン・ベインズ挿画。瀬田貞二訳。冒頭に「はじめて「ナルニア国ものがたり」を読むかたに」(『ライオンと魔女』「訳者あとがき」からの抜粋)、巻末に竹野一雄「アスランの「もうひとつの名前」」(2000年秋)を附す。
1986年3月12日刊、2000年11月17日新装版。
クライヴ・ステイプルズ・ルイス、ポーリン・ベインズ、瀬田貞二については『ライオンと魔女』評の末尾を参照。
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