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岩波少年文庫を全部読む。(8)キャラクタービジネスの影に隠れた「口誦と挿画の力」 アラン・アレグザンダー・ミルン『クマのプーさん』

(初出「シミルボン」2020年11月19日
(2022年8月22日加筆部分は有料)

実写版『リトル・マーメイド』の話をした前々回『アナと雪の女王』の話をした前回に続いて、3回連続でディズニー映画の話になります。

読まず嫌いの児童文学

 そもそも僕には『読まず嫌い。』(角川書店)という本があるくらいで、いろんな「名前は知っているが読んでない」本や分野がありました。

 小学校時代にあまり本を読まなかったせいで、おとなになっても、児童文学という分野自体が僕には長らく未知の大陸(terra incognita)でした。

 しかも《プーさん》シリーズは、ただ有名なだけではなく、ディズニーのキャラクター分野で先にその「姿」を知ってしまうケースが、いまとなっては圧倒的に多いでしょう。

ディズニープー大人気

 僕の子どものころは、わかりやすく言うと「『スター・ウォーズ』前夜」だったので、キャラクタービジネスがいまほど多様ではなく、市場規模もいまよりは小さかったはずです。

 しかし逆の面から言うと、選択肢がいまほど多種多様ではなかったので、それだけディズニーキャラのプレゼンスが大きかったとも言えます。

 黄色くて丸っこくて、のんびりした動きのディズニープーは、ディズニーキャラクターのなかでも、当時から高い認知度がありました。

 21世紀になっても人気は衰えていません。英文学者・安達まみさん(聖心女子大学教授)の『クマのプーさん 英国の想像力』(光文社新書)で知ったのですが、関東関西の39歳以下の男女(12歳以下は母親が回答。←やっぱ父でなく母なのか…と軽くムッとしますが)1350人を対象にした「キャラビズ」のキャラクター・データバンク社による「キャラクター人気ランキング」(2002)では、ハローキティやディズニーの看板キャラ・ミッキーマウスを制して、プーさんが1位だったそうです。

 プーさんに投じられた票の対象となったのが純粋に「ディズニープー」だったのかどうかは不明ですが。

ディズニーキャラグッズへの抵抗感

 僕は幼時からゃんとディズニー作品を視聴していないくせに、ディズニーキャラへの抵抗感が強く、そのせいでますます苦手意識が強くなっていました。

 時代的に、配信もなければ家庭用動画再生装置も普及していなかったこともあります。そうなるとディズニーキャラと接するのは静止した「グッズ」(書籍を含む)しかありません。

 10代になってからもディズニーにたいする苦手意識は続きました。やはり作品を視聴せず、キャラクターグッズばかり目にすることによって、苦手さは助長されていったようです。

シェパードのプーさん(「クラシックプー」)との出会い

あるとき、プーさんの原作(本書です)の挿画をもとにしたグッズを見る機会がありました。最初は、「え、これもプーさんなの?」と驚きました。

 そうです。それプーさん(ウィニー=ザ=プー)だったのです。
 アラン・アレグザンダー・ミルンの《プーさん》シリーズの挿画を担当したアーネスト・ハワード・シェパードのプーさんたち、いまでは「クラシックプー」と呼ばれるようになったものです。こちらの商品化権も、ディズニーが管理しているそうですが。

 これはほんとうにすばらしかった。こっちだって有名なのだから、いまさらこんなことを書くのも恥ずかしいのだけど。でもディズニープーよりはこれでも認知度が低いのですから、こういうこともある。

 ペンの音が聞こえてきそうな硬質な輪郭線、曲面の肌触りを感じさせる影の入れかた、木や水や家具を構成する描線の確かさ。

 すっかりやられました。

 日本に仕事を見つけ、働くために留学から帰国したあと、仕事がらみでディズニー作品を視聴する機会が少しずつ増えました。そこで感じたのは、

「ディズニーのキャラのグッズは苦手だが、映像作品中で音といっしょに動いているディズニーキャラはすばらしい」

ということでした。

 ただディズニーのプーさんはやっぱり好きになれませんでした。あんなに害のない、文字どおりharmlessな造形を好きになれないのは、これはもう僕の心が汚れているのです。

ライトヴァースに起動された物語

 『くまのプーさん』は、詩集『クリストファー・ロビンのうた』(1924。小田島雄志+小田島若子訳、河出書房新社)に続く《プーさん》シリーズ第2作です。

 『クリストファー・ロビンのうた』にはプーという名前は出てきませんが、シェパードが挿画を担当したテディベアが出てきます。

 『くまのプーさん』のなかにも軽妙なライトヴァースがところどころに出てきますが、どうやら作品の秘密はここにあります。作品の原動力は口誦性の高いノンセンス・ライムにあったのだと。

 『くまのプーさん』は、かの『不思議の国のアリス』の後裔だったのです。

 この両者は詩に起動される物語です。突飛な対照ですが、『伊勢物語』がそうであるように。

(『伊勢物語』の《池澤夏樹=個人編集 日本文学全集》第3巻所収の川上弘美訳、とりわけ和歌の現代語訳は印象的です)

 徹底した無意味と、言葉の運動。これは《プーさん》4部作と《アリス》2部作(ならびにルイス・キャロルの詩)とが、ともに伝統的な英国童謡マザーグースから継承し、発展させたものでした。

子どもへの働きかけとしての物語行為

 それに加えて、英国児童文学の古典にはしばしばあるように、『不思議の国のアリス』も『くまのプーさん』も、作者が身近に存在していた子ども(アリス・リデルとクリストファー・ロビン・ミルン)に向けて半ば即興的に語っていた物語から発展したと言われています。相手への働きかけとしての物語行為が、両作品の、しばしば予想を裏切る展開、独特のグルーヴを生み出しています。

 『くまのプーさん』で言うと、抜けたところの多いプーや気弱なピグレット(石井桃子訳では〈コブタ〉)、いわゆる「陰キャ」の驢馬イーヨーといったキャラクターたちの多くは、作者の幼い息子クリストファー・ロビンの部屋に存在した縫いぐるみや玩具に由来しているといわれます。

ブリコラージュの神業

 子ども部屋に実在するもの、物語の発信者と受信者にとっておなじみの手近な存在を使って、恐ろしくハイブラウな詩的構築物を構成したミルンは、ブリコラージュの神業を持っていました。

 ブリコラージュとは、そこらにある余りものを組み合わせて、もとの使用方法とは無関係に、間にあわせの実用品を日曜大工的に作ることです。

 ブリコラージュはフランス語では日常語ですが、人類学者クロード・レヴィ=ストロース『野生の思考』(1962。大橋保夫訳、みすず書房)で世界じゅうに知られるようになりました。

 レヴィ=ストロースによれば神話などの物語的思考もこのブリコラージュ的なパッチワークの産物だそうですが、この「まえがき」と10の物語からなる『くまのプーさん』は、そういったブリコラージュ性を殺さないように作られています。

 いや、「作られている」というとミルンが強いオーサーシップというか作家性を発揮したみたいに感じますよね。

 僕の印象は逆です。クリストファー・ロビンというひとりの具体的な相手を前にしたミルンは、自分の喉から出てくる言葉をできるだけ邪魔しないようにすることによって、自身もまたクリストファー・ロビンとともに、この『くまのプーさん』のもととなるお話の、最初の聞き手のひとりとなったのではないでしょうか。

 こういった「口誦と挿画の力」が、キャラクタービジネスの影に隠れてしまうという皮肉は、メディアミックスされたヒット作の宿命なのかもしれません。

(2022年8月22日加筆)本稿執筆後の約1年9か月で、僕は「プー」を学んだ。

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