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岩波少年文庫を全部読む。(26)わきまえない女・ピピネラ登場 ヒュー・ロフティング『ドリトル先生のキャラバン』

(初出「シミルボン」2021年3月25日)

『サーカス』の直接の続篇

 『ドリトル先生の動物園』に続くシリーズ第6作。

 作中の時系列としては第4作『ドリトル先生のサーカス』の直接の続篇ということになります。

 マンチェスターで発足したドリトル・サーカスはメインの出しものである黙劇の成功でロンドン公演が決定します。

 団員たちよりひと足早くロンドンに着いた先生は、ペットショップで歌っているカナリアの美声に魅了され、マシュー・マグ副団長に買いに行ってもらう。そのカナリアは鳴かないはずの雌で、名をピピネラといいました(なお、現在ではカナリアには鳴く種類の雌もあると知られているそうです)。

フェミニズムとアニマルライツ

 雌だって歌っていいじゃないか、と旧弊に敢然たる戦いを挑むピピネラはいわばフェミニズム活動家、当時の「新しい女」「わきまえない女」です。彼女の波瀾万丈の身の上話──とりわけ窓ふき屋の男性への身も焦がす思い──に刺戟された先生は、ロンドン公演ではピピネラをフィーチャーした〈カナリア・オペラ〉をメインの出し物にしようと決意。

 出演者(鳥)を探すうち、ピピネラの前夫ツインクがある悪徳ペットショップに出ていることが判明します。密猟の犠牲となった鳥を不衛生な場で飼育しているその店に先生とマシューは潜入、鳥を逃がそうとして窮地に陥りますが、ついに店を廃業に持っていきます。

パガニーニ登場

 〈カナリア・オペラ〉を観たイタリアの世界的ヴァイオリン奏者パガニーニ(1782-1840)はこれを音楽的に高く評価し、そのインフルエンサーぶりもあって公演はロングランとなります。

 本訳書112頁に、ロフティング自身のペンでペリカンのコーラスが描かれています。小説家で英文学者の南條竹則によると、

ペリカンのコーラスというアイデアは、ロフティングが最初に考えついたのではなかった。十九世紀英国のノンセンス詩人エドワード・リア(一八一二─八八)が、つとに「ペリカン・コーラス」という歌を作詞し、自分で曲もつけている。〔『ドリトル先生の世界』(2000/2011)国書刊行会、61頁〕

 リアと言えば詩画集『ナンセンスの絵本』(1846。柳瀬尚紀訳、岩波文庫)で知られる画家詩人であり、ルイス・キャロルにも影響を与えたとされる人物ですね。

シリーズ前半の終わり

 サーカス大成功のかたわら、先生は農業博覧会に薬品や機器を出品するなど多忙な日々を送ります。旧ブロッサム・サーカス以来の団員たち(人間)が徐々に引退したこともあり、先生はサーカス団を解散、故郷パドルビーへと戻ることになります。

 本書は番外篇『ガブガブの本』を除くシリーズ全12タイトルの第6作です。本書で、巻数のうえでシリーズ前半が終了したわけですが、たんに巻数の話だけでなく、広く愛されたドリトル先生ものの明朗な展開もまた、ここでいったんお休み、ということになります。

 というのも、シリーズ後半のうち最初の3作は「月3部作」とも呼ばれるSF的な、そして独特の暗さのある作品です。そして残る3作はすべて長いブランクののち第2次世界大戦後に刊行されたもの(うち2篇は死後刊行)で、いずれもロフティングの義妹オルガ・マイクル(カナダのドイツ系バレエ指導者オルガ・フリッカーの筆名)の手が大なり小なり加わった作品なのです。

 「月3部作」の静謐な奇想、1960年代SF映画的なテルミンの音が似合いそうな異界の記述は、お祭り騒ぎの連続のようだったシリーズ前半とは打って変わってひんやりとした手触りを持っています。

 「月3部作」について、英文学者・児童文学者の脇明子・ノートルダム清心女子大名誉教授は、つぎのように述べています。

ドリトル先生は動物語のできる医者で、それを利用してアフリカへ猿たちの病気を治しに行ったり、鳥が配達する郵便局を開設したり、次々と楽しい物語を繰り広げていく。注目に値するのは、その活動にほとんどが理想主義的な社会改革であるということで、シリーズの前半に漲っているのは、こんな人物がいれば社会はどんどんよくなっていくだろうという、希望に満ちた楽天製である。だがその楽天性は、家族に豚がいる家で当然のようにベーコンを食べることと表裏一体になっており、すべての動物を幸福にすることは不可能だとわかってくるにつれて、深い憂鬱にとってかわられることになる。〔…〕『ドリトル先生と月からの使い』(一九二七)、『ドリトル先生月へゆく』(一九二八)、『ドリトル先生月から帰る』(一九三三)と三冊に渡る冒険が始まるのだが、不思議で物悲しいその冒険は、それまでの愉快な動物物語とはまったく雰囲気を異にしている。〔『ファンタジーの秘密』(1991)沖積舎《ちゅうせき叢書》190頁〕

 「月3部作」は、これまでの6作からがらりと雰囲気が変わるんですよね。
 では次回、『ドリトル先生と月からの使い』でまたお目にかかりましょう。

Hugh Lofting, Doctor Dolittle's Caravan (1926)
挿画もヒュー・ロフティング。井伏鱒二訳。巻末に伊藤比呂美「ピピネラへのあこがれ」(2000年春)を附す。後年の版では岩波書店編集部「読者のみなさまへ」(2002年1月)が加わる。
1952年1月15日刊、2000年6月16日新装版。
ヒュー・ロフティング、井伏鱒二については『ドリトル先生アフリカゆき』評末尾を参照。

伊藤比呂美 1955年東京生まれ。青山学院大学文学部日本文学科卒業。詩集『草木の空』でデビュー。熊本とカリフォルニア間を往復。『ラニーニャ』(岩波現代文庫)で野間文芸新人賞、『河原荒草』(思潮社)で高見順賞、『とげ抜き新巣鴨地蔵縁起』(講談社文庫)で萩原朔太郎賞、紫式部文学賞。著書に『なっちゃんのなつ』(福音館書店)、共著に『禅の教室 坐禅でつかむ仏教の真髄』(中公新書)、訳書にカレン・ヘス『ビリー・ジョーの大地』(理論社)など。元夫はポーランド文学者・西成彦。

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