岩波少年文庫を全部読む。(16)「南の島のハメハメハ大王」級の「やらかし」 アストリッド・リンドグレーン『ピッピ南の島へ』
「常夏」への憧れと輝かしい幼年期の賞揚
『長くつ下のピッピ』、『ピッピ船にのる』に続く完結篇です。
世界一強い女の子ピッピの隣人であり、読者に視点を与える人物であるセッテルグレーン家のきょうだいトミーとアンニカは、物語冒頭、はしかで寝こんですっかり弱ってしまいます。
ピッピはふたりの両親にかけあって、3人は冬の北欧から、ピッピの父エフライム船長が王として統治する南島、クレクレドット島へと転地します。エフライム船長が船でやってきて彼らを乗せ、年末年始の約1か月をそこで過ごすのです。
北欧の冬は日が短く、長い冬のあいだに自殺する人が多いことが知られています。いっぽうクレクレドット島で健康に日焼けしていく子どもたちの生活は、すみずみまで輝かしく自堕落かつアクティヴ。
本書は作者の「常夏」への憧れと輝かしい幼年期の賞揚の産物でしょう。それだけ冬の北欧が圧倒的に厳しいということなのかもしれません。
白人王という素朴な空想
外から訪れた白人を王として迎え入れる「未開人」、というナイーヴな空想は、ヒュー・ロフティングの《ドリトル先生物語》シリーズ第2作『ドリトル先生航海記』(1922。井伏鱒二訳、岩波少年文庫)に出てくるクモサル島の挿話がその先行例です。
さらに遡れば、ポーランド出身の英国作家ジョウゼフ・コンラッドの代表作『闇の奥』(1902。黒原敏行訳、光文社古典新訳文庫)にもそういうモティーフが出てきました。アフリカ大陸奥地で現地人に神のごとく崇められるクルツ(カーツ)を、映画ではマーロン・ブランド、ドラマではジョン・マルコヴィッチが演じました。
そもそもそういう空想の対象としての「未開」という図式が、第2次世界大戦直後には、まだヨーロッパの児童文学の世界では生きていました。
本書『ピッピ南の島へ』は1948年の作ですが、本書の3年前、つまりシリーズ第1作『長くつ下のピッピ』が発表されたのと同じ1945年には、メアリ・ノートンのデビュー作『魔法のベッド南の島へ』(猪熊葉子訳『空とぶベッドと魔法のほうき』所収、岩波少年文庫)で、ヒロインの音楽教師(じつは見習い魔女)プライスさんが南洋にあるウイープ島の島民たちを魔法で圧倒するという場面もあります。
《ピッピ》3部作と《魔法のベッド》2部作の「南島」観は、まったく同じものと言ってもいいかもしれません。
ピッピ3部作に見られる異文化ジョーク
先述『闇の奥』のヒントとなったのは、のちにコンゴ民主共和国となるコンゴ自由国(ベルギー領コンゴ)だと言われます。コンゴ自由国の実態は、『闇の奥』が書かれた当時のベルギー国王レオポルド2世(在位1865-1909)の私有地のようなものだったそうです。
そういえば第1作『長くつ下のピッピ』には、ピッピのこういう台詞があります
これは「エジプトではみんな後ろ向きに歩いている」(19頁)「インドシナではみんな逆立ちして歩いている」(20頁)などの「後進国ほら話」を披露したピッピが、嘘ばかりついていると非難されたときの言いわけです。「後進国ほら話」を言ってしまう言いわけそれ自体が「後進国ほら話」になっているという代物。
政治的にはまったく正しくないのですが、ご愛嬌ということで先に進みたいものです。70年後のこんにち、ここを責めてもしかたがない。
本書『ピッピ南の島へ』は童謡「南の島のハメハメハ大王」級の「やらかし」であって、そんなこと言ったらあの歌(伊藤アキラ作詞)なんて本作より30年近くあとになってまだそんなこと歌ってる作品なんですから。
グッド・バッド・ガール
ピッピの破天荒さは、ある意味で侵襲的かつ収奪的なものです。レスリー・フィードラーが《アメリカ文学の原型》第1巻『アメリカ小説における愛と死』(1960。佐伯彰一他訳、新潮社)で命名した〈グッド・バッド・ボーイ〉の女の子版、それがピッピだったのかもしれません。
「いい子」へのアンチテーゼが「やんちゃ」であるというのが、『ハックルベリー・フィンの冒険』(1885)以来の少年少女主人公の定跡なんですよね。
僕は子どものころ、「いい子」でもなく「やんちゃ」でもなく「上の空」でした。そして「やんちゃ」がハック(グッド・バッド・ボーイ)やピッピのように児童文学でちやほやされることに、どうにも馴染めませんでした。
「上の空」や「陰キャ」(当時はこの語はなかったけど)は、教室で冷遇されるのはもちろん、児童文学ですらあまりいいあつかいをうけないものです。だから子ども時代に第1作『長くつ下のピッピ』を冒頭だけ読んで読みやめてしまったこと、どうか勘弁してください。
2021年2月10日追記
岩波少年文庫版のドリトル先生シリーズには、編集部からポリコレ配慮の但書がついています。いっぽう、同じ少年文庫版ピッピ3部作は但書がついてなくて、いちばん差別的なのがほかでもないヒロインのピッピの言動。〈土人〉という台詞も残してます。いろいろおもしろい。
Astrid Lindgren, Pippi Långstrump i Söderhavet (1948)
2000年8月18日刊。大塚勇三訳、桜井誠挿画。「訳者のことば」、落合恵子「アンチ・ヒロインの魅力……なんてったってピッピ」を附す。
アストリッド・リンドグレーン、大塚勇三、桜井誠については『長くつ下のピッピ』評末尾を参照。
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?