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岩波少年文庫を全部読む。(32)ロフティングからの最後の挨拶 ヒュー・ロフティング『ドリトル先生と緑のカナリア』

(初出「シミルボン」2021年5月6日

義妹による補作で完成

 歿後刊行の『ドリトル先生と秘密の湖』に続くシリーズ第11弾にして最後の長篇ですが、作者の遺作は公式には前作となっています。どういうことか。

 作者の妻ジョセフィン・ロフティングの序文「おことわり」によると、本書は夫人の妹で作者の助手を務めていたオルガ・マイケル(ドイツ系カナダ人の振付師オルガ・フリッカー)が遺稿に補筆して完成したものだそうです。

 本作は第6作『ドリトル先生のキャラバン』の裏話と後日譚からなっています。トミー・スタビンズは登場しません。

 そういう意味では本作の骨子は『ドリトル先生のキャラバン』の、より詳しい再話となっています。雌でも歌うぞ!という「わきまえないカナリア」ピピネラの物語です。3部構成のうち第2部までは、そういうわけでピピネラが一人称で長広舌を振るい、聴きてたちがときどき口を挟む、そういう構成になっています。

カナリア版「ドキュメント女ののど自慢」

 それによるとピピネラはじつはカナリアと河原鶸のハーフ(!)で、早くからシンガーソングライターの才能を開花させ、各所を放浪します。

 宿屋・七海亭の厩舎から侯爵夫人マージョリーの部屋へ、そして歩兵連隊の軍曹について各地を回り、その後毒ガス検知用に炭鉱に持ちこまれ、ウィンドルミアにあるロージーおばさんのもとで美声のツインクと結婚、しかしピピネラはダメ人間、じゃなかったダメ鳥である夫を愛せない。

 窓拭き男に譲り渡され、心の平安を得たかと思えば嵐に見舞われて屋外に放り出され、出会った河原鶸のニッピーに好意を抱くが失恋、思い余って南島まで飛んでいき、かと思えば客船の理容室に保護され、客として来ていた窓拭き屋と奇蹟的に再会、しかしこんどは籠ごと盗まれてペットショップに転売され、そこでドリトル先生に買われてサーカスに加入し、一座のディーヴァになった、というわけです。

 昭和生まれはご存知と思いますが、昭和末から平成初期、日本テレビの朝ワイドショウ『ルックルックこんにちは』内に「ドキュメント女ののど自慢」という視聴者参加型の長寿コーナーがありました。一般人女性の艱難に満ちた半生を写真とともに紹介し、最後に「それでは歌っていただきましょう」となる。本作はまさにそれです。

サーカス団解散後の物語

 「カナリア・オペラ」で成功を収めたのちサーカスを解散した先生は、ピピネラの飼主である窓拭き屋を探すためウィンドルミアに赴き、ロージーおばさんの鸚鵡から窓拭き屋のロンドン行きを聞き出します。

 ロンドン下町雀のチープサイドの情報網によると、窓拭き屋は貧民病院に入院しているということでした。

 小説家で英文学者の南條竹則によれば、本書で大活躍するチープサイドはロンドンの下町訛りを話しており、これはバーナード・ショーの戯曲『ピグマリオン』を映画化した〈『マイ・フェア・レディ』で、オードリー・ヘップバーンの演ずる女主人公〔ヒロイン〕イライザがしゃべっていたやつだ〉(『ドリトル先生の世界』(2000/2011)国書刊行会、146頁)そうです。

 窓ふき屋は所持していた原稿がだれかに奪われたことによって精神の安定を失っています。彼の正体は元・ローボロー公爵、いまは死を装って自由の身となり、弟に爵位を譲って文筆活動をしようとしているのでした。

 元公爵を退院させた先生は、犬のジップたちの協力を得て、盗まれた原稿を取り戻すべく奮闘します。

シリーズ前半ファンへのご挨拶?

 第6作『ドリトル先生のキャラバン』]の裏話と後日譚は、ファンの多くを占めるであろうシリーズ前半の支持者に向けて書かれた、ロフティング最後の挨拶のようにも思えます。「月3部作」が書かれなかったなら、シリーズ第7作はこういう感じだったのかもしれません。

 この連載のドリトル先生ものレヴューも、いよいよ次回で終わりです。短篇集未収録の「ドリトル先生、パリでロンドンっ子と出会う」(1925。『ドリトル先生の最後の冒険』所収、河合祥一郎訳、角川つばさ文庫)と番外篇『ガブガブの本』(1932)は岩波少年文庫に入っていないので、いずれべつの機会にでも。

 ドリトル先生シリーズの翻訳を井伏鱒二に慫慂した石井桃子は、ドリトル先生もの12点の井伏訳が完結した1962年に、〈ずっとまえに、アメリカの本で読んだおぼえがあるのですが〉と前置きして、ヒュー・ロフティングが図書館で子どもたちを前にした話、というのを紹介しています。

イギリスで初夏なきだすカッコウは、ほかの鳥のすにたまごを生みおとし、自分はインドに飛んでいってしまいます。生みおとされたたまごは、よその鳥のつばさにだかれてヒナになり、つばさが十分つよくなると、はるばるインドまでとんでゆき、そこで、ほんとの親にめぐりあうのです。これは、ほんとうの話です。
こういう事実は、鳥の生活を見て、ふしぎなことをするなと思ったら、あくまでそれをしらべずにはおかなかった、強い探究心をもつ人たちによって証明されました。今は、ここに集ったみなさんのうちからも、人類のために、未知の世界をさぐり、大きな発見をする人が、きっと出てくると思います。〔石井桃子「「ドリトル先生」の作者ヒュー・ロフティングという人」(1962)『プーと私』所収、河出文庫、95頁。引用者の責任で改行を加えた〕

 では次回、『ドリトル先生の楽しい家』でまたお目にかかりましょう。

Hugh Lofting, Doctor Dolittle and the Green Canary (1950)
挿画もヒュー・ロフティング。オルガ・マイケル補訂。ジョセフィン・ロフティング序、井伏鱒二訳。巻末に神沢利子「動物と心をかよわせたい」(2000年秋)を附す。後年の版では岩波書店編集部「読者のみなさまへ」(2002年1月)が加わる。
1979年9月19日刊、2000年11月17日新装版。ヒュー・ロフティング、井伏鱒二については『ドリトル先生アフリカゆき』評末尾を参照。

オルガ・マイケル 1902年オンタリオ州キッチナーのドイツ系家庭に生まれ、トロントでダンスを学んだのち渡米、デトロイトで舞踏家・ダンス教師として活躍。義兄ヒュー・ロフティングの助手も努め、その死後に本書を完成させ、またドリトル先生ものを劇化する。ロサンゼルスでダンススクールを開く。1997年歿。

神沢利子 1924年福岡県生まれ。本名古河トシ。北海道、樺太で育ち、文化学院文学部で佐藤春夫に師事。『タンポポのうた』(麦書房)でデビュー。『あひるのバーバちゃん』(偕成社)『ゆきがくる?』(銀河社)『おやすみなさいまたあした』(のら書店)で産経児童出版文化賞、『タランの白鳥』(福音館文庫)で同大賞、『流れのほとり』(福音館文庫)で児童文芸家協会賞、『いないいないばあや』(岩波書店)で日本児童文学者協会賞・野間児童文芸賞、『おめでとうがいっぱい』(のら書店)で日本童謡賞、《神沢利子コレクション》(あかね書房)で路傍の石文学賞・モービル児童文化賞・巖谷小波文芸賞、『鹿よ おれの兄弟よ』(福音館書店)で小学館児童出版文化賞・講談社出版文化賞。著書に『くまの子ウーフ』(ポプラポケット文庫)、『同じうたをうたい続けて』(晶文社)など。

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