岩波少年文庫を全部読む。(69)バットマンをコウモリ男と訳すとアメコミが急に仮面ライダーになる 谷川俊太郎+川崎洋編訳『木はえらい イギリス子ども詩集』
にほn
英国の6人の作者が1977-1990年に刊行した子ども向け詩集14冊から、72篇を選んだアンソロジーです。
前回、幼児に向けて詩の読み語りをしたことが僕の詩歌との和解につながった、という話をしました。
とはいえ、本書収録作は歌詞というよりは読む詩歌ですし、作品によってはヤングアダルト向けのものもあります。
読み語りでどうこうするには、いまのところ少し敷居が高いんですよね。
以下、作者ごとにコメントしていきます。
アラン・アールバーグ
アラン・アールバーグ(Allan Ahlberg)は1938年クロイドン生まれ。オールドベリーで育ち、サンダーランド工科学校に学びました。
むかし男の子だった人ってのは
いまじゃ古びた男の子
あごひげなんかかやしてさ
飲み屋のいすにどっこいしょ
バスの二階のざせきによっこらしょ
むかしはむかしはなんて思ってばかりでさ
〔川崎洋訳「男の子」より〕
小学校教師をしていたとき、妻でイラストレーターのジャネット・アールバーグと絵本を共作しはじめます。
夫婦共作の絵本にマザーグースの歌を題材とした最大のヒット作『もものき なしのき プラムのき』(佐藤凉子訳、評論社)をはじめ、『バイバイベイビー』(佐野洋子訳、文化出版局)など、他の画家との仕事に『えんぴつくん』(福本友美子訳、小学館)など。
『もものき なしのき プラムのき』も『えんぴつくん』も、すごく好きな絵本です。
『バイバイベイビー』は、僕好みではありませんでした。佐野洋子訳の絵本でほかにも「あ、これ苦手」というのがあったんだよな。
そして、佐野洋子作の絵本も僕はどうも苦手なんです。息子には気取られないようにしていますが、こういうのバレるかもなあ。
アールバーグの章の挿画はフリッツ・ヴェグナー(Fritz Wegner)。
1924年ウィーンの同化ユダヤ人家庭に生まれ、ロンドンに亡命。セント・マーティン美術学校で学びます。
バッキンガムシャーで働きつつイラストや漫画を発表、ロンドンでグラフィック・アーティストとなりました。『とんでもないブラウン一家 お話の中のお話』(井辻朱美訳、講談社)など、アールバーグとは死の直前まで約30年、コンビを組んでいました。2015年歿。
マイケル・ローゼン
マイケル・ウェイン・ローゼン(Michael Wayne Rosen)は1946年ミドルセックス州ハロウ生まれ。両親ともに東欧系ユダヤ人の血を引いています。
物識り博士 物識り博士
ヘビをどうやって殺します?
しっぽを口にくわえさせ
自分で自分を食べさせる
*
物識り博士 物識り博士
ネコのしっぽのとっさきに くっついているものは?
ネコ
〔川崎訳「物識り博士」より〕
オックスフォード大学のワダム・カレッジ卒業後、BBCの教育番組部門で脚本家やプレゼンターを務め、退職後は児童向け詩集を刊行しました。
ヘレン・オクセンバリーの絵と組んだ絵本『きょうはみんなでクマがりだ』(山口文生訳、評論社)でネスレ・スマーティーズ・ブック賞総合賞および0-5歳児部門賞。
この本、読み語りをしていて、親の僕が「うわあ!」と息を呑むすばらしいものでした。文章の間合いが絶妙で、絵にも迫力があったため、当時3歳の子どもは本気で怖がるほどでした。
ローゼンはその後レディング大学で児童文学の修士号、ノースロンドン大学(のちのロンドン・メトロポリタン大)で博士号を取得。ロンドン・メトロポリタン大学大学院教育学研究科修士課程、ついでロンドン大学ゴールドスミス校大学院教育学研究科修士課程で児童文学を講じました。
2021年には前年に新型コロナウィルス肺炎で入院した経験をもとにした作品を出版したそうです。
ローゼンの章の挿画を担当しているクェンティン・ブレイク(Quentin Blake)は1932年ケント州シドカップ生まれ。
ケンブリッジ大ダウニング・カレッジでF・R・リーヴィス(なんと!)に英文学を学び、ロンドン大学大学院教育学研究科で教職の学位を取得。チェルシー美術学校とカンバウェル芸術大学でも学んでいます。
ロンドンでフランス高校英語教師を経て王立美術大学イラスト科長。ロアルド・ダールとのコンビは有名です。タレントとしても活動したそうです。
『マグノリアおじさん』(谷川俊太郎訳、好学社)でグリーナウェイ賞、ローゼンと組んだ『悲しい本』(谷川訳、あかね書房)で最優秀児童絵本特別賞。他に国際アンデルセン賞画家賞など受賞多数。著書に『シンプキン』(前沢明枝訳、朔北社。僕がクェンティン・ブレイクのファンになったきっかけの1冊)など。
ちなみにローゼンのミドルネーム「ウェイン」にも驚くべき由来があります。
ローゼンの父は米国生まれでロンドン育ち(英国はその父の母の母国でした)。
彼は若いころ第2次大戦で軍務に就いていました。終戦の翌年にローゼンが生まれると、戦時下英国シュリヴナムで開講されていた米軍大学でのルームメイトのファーストネーム「ウェイン」を、息子のミドルネームとします。
この父は英国にとどまって教育学者となり、ルームメイトのウェイン・C・ブースは帰米後にあの「信頼できない語り手」概念で有名な米国の偉大な文学理論家となりました。
ブライアン・パテンとキット・ライト
ブライアン・パテン(Brian Patten)は1946年リヴァプール近郊ブートル生まれ。
超人ハルクが驚異の少年ロビンと一緒に
お茶を飲みにやってきたんだ
コウモリ男はその夜うちに泊まったよ
彼のコウモリが風邪をひいたので
スーパーマンが「ハロー」とやってきた
スパイダーマンはみんなにジョークをとばしたね
ダイナマイトスーは来るはずだったけど
立ちのぼる煙とともに消えちゃった
〔川崎訳「ビリー・ドリーマーのすてきな友達」より。88頁〕
バットマンを〈コウモリ男〉って訳したんじゃアメコミがきゅうに『仮面ライダー』になっちゃいますよ川崎先生!
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