岩波少年文庫を全部読む。(30)初期キャラ集結、作者生前最後の長篇 ヒュー・ロフティング『ドリトル先生と秘密の湖』
ふたたびファンティポ王国へ
『ドリトル先生月から帰る』から15年を経て、作者の死の翌年、1948年に刊行された遺作。シリーズ第10作にして、作者本人が自力で完成させたとされる長篇としては最終作です。
セント・ポール大聖堂住まいの雀チープサイドは、第3作『ドリトル先生の郵便局』(先生がスタビンズと出会う前の話)に出てきた西アフリカ奥地の〈秘密の湖〉ジュンガニーカ湖で、古代の大洪水の生き残りと称する陸亀ドロンコを治療した思い出を、ドリトル先生の助手である〈私〉トミー・スタビンズに語ります。
「月3部作」に登場した月の植物の長寿に着目したものの、不老研究に挫折した先生の落ちこみを軽くするため、スタビンズは先生に、ドロンコが話した物語(ノアの大洪水で水没した都市シャルバの話)の記録の分析を提案しますが、それを記録した地下書庫の棕櫚の葉は、管理者である白鼠によって、〈ネズミ・クラブ〉新会員の巣の建材として放出されてしまっていました。
嵐の晩、チープサイドと妻ベッキーはアフリカにドロンコを訪ねますが、先生がかつてジュンガニーカ湖に作った小島は大地震で壊滅、ドロンコは行方不明でした。2羽はほうほうの体でドリトル家にたどり着き、現状を報告します。
第2作『ドリトル先生航海記』以来久しぶりに貝ほりジョーから新たに船を借りた先生は、ファンティポ王国を再訪します。
グロテスクな一場面
旧知のココ王じきじきの出迎えを受け、一行はかつて郵便局だった屋形船での晩餐会でもてなされます。その場面に、つぎのような一文があります。
小説家で英文学者の南條竹則はここに着目し、つぎのようにコメントしました。
初期メンバーたち、続々と再登場
一行は王に提供された丸木舟で小ファンティポ川を遡行、並走するニジェール川の鰐の大群にドロンコ救出を依頼します。その大群のリーダーは、なんと第1作『ドリトル先生アフリカゆき』で先生と妹サラとの訣別の銃爪となったジムでした。
第1作のジム、第2作のジョー、第3作のココ王にドロンコと、本作は初期3作のキャラクターたちが続々と再登場し、老境の作者を支えようとするかのようで、グッときます。
水位低下によってシャルバの建造物が湖底より姿をあらわしていました。人工島で生き埋めになったドロンコは、鰐たちの尽力で救出され、大洪水の物語を詳述しはじめます。
『創世記』の洪水説話を読み替えるこの神話は、「月3部作」劈頭を飾る第7作『ドリトル先生と月からの使い』でチンパンジーのチーチーが語る月誕生神話と並んで、シリーズ後半を彩る2大超古代SF説話となっています。
ドロンコ版ノアの洪水物語
かつて、シャルバの都のマシュツ王は周辺諸国を武力で征服し、敗戦国民を奴隷にしていました。人びとを欺き、若者を洗脳し、一民族の殲滅を公言するマシュツ王は、3年前まで生きていたヒトラーをモデルにしています。
当時ドロンコは妻ベリンダと生き別れとなり、ノアが園長を務めるシャルバの動物園で少年奴隷エバーに飼育されていました。
王が独裁勢力に抵抗する内陸のゾナバイト国を攻略する準備をしていると、振り始めた雨が長期の豪雨となり、シャルバは洪水に見舞われました。水位上昇によって動物たちは檻を逃れ、ドロンコは妻と再会。神の啓示を受けて方舟を作ったノア園長は園の動物たちを方舟に収容します。
雨は止み、ドロンコは漂流中のエバーと美声の奴隷少女ガザを見つけますが、ノアは彼らの名が神の指示書にないことを理由に救出を拒否。ドロンコ夫妻はノアのもとを離れてふたりを救います。方舟はアララト山に漂着。
元奴隷は改めて動物王である象の飼育係になりますが、人類殲滅を狙う雌虎がクーデターを起こし、ライオンを動物王に立てます。ドロンコ夫妻と元奴隷たちは、湖と化したシャルバから、大西洋と化したもとの砂漠を筏で渡り、のちのアメリカ大陸に到着。ドロンコはアフリカに戻りました。
ロフティングの苦労が偲ばれる
先生は露頭したシャルバの王宮跡の財宝から、青銅製の王冠のみを選んで持ち出します。帰路、川でドロンコの妻ベリンダと出会い、陸亀夫妻の平和な今後の予感のうちに、シリーズ最大の長篇は静かに幕を閉じます。
本作の後半(現行の岩波少年文庫版では下巻)の大半を占める洪水物語は、第2次世界大戦のことを露骨に反映して政治性が強く、アメリカ合衆国を象徴する新大陸の讃美がさすがに過ぎるのではないかということで、不評だとも聞きます。でも、ひとりの大人の読者としては、いまとなってはこれも歴史のひとつの足跡なんだなーと、興味深く思います。
前作が刊行された1933年は、マシュツ王のモデルであるヒトラーが内閣を作った年。そこからの十数年のあいだに、第2次世界大戦があり、本書が刊行されたのは戦後にはじまった冷戦の状況下でした。その意味で本書は、児童文学における「戦後文学」(岩波少年文庫にも数多く収録されている)の一例なのです。
ロフティングは戦争で傷ついた子どもたちを支えたかったのでしょう。初期にあれほど多くの子どもたちを楽しませ勇気づけたシリーズを、思想的にかなり無理をしながらでも、アンバランスな出来栄えでも、なんとか再開しようとした作者の苦労を思うと、本作をあまり悪く言う気が起こりません。
もっとも、幼年期にシリーズを読まず大人になって読んだ僕が、老境の作者への親近感からそう思っているだけなのかもしれませんが。
このあと、シリーズは2タイトル残っています。遺稿をもとに義妹オルガ・マイケル(ドイツ系カナダ人の振付師オルガ・フリッカー)が完成させた『ドリトル先生と緑のカナリア』と、生前編まれなかった短篇集『ドリトル先生の楽しい家』です。
なお、この連載では岩波少年文庫版の通し番号順に本シリーズを読んできましたが、ここでいったんひと休みして、次週は違う作品のレヴューを予定しています。
Hugh Lofting, Doctor Dolittle and the Secret Lake (1948)
挿画もヒュー・ロフティング。井伏鱒二訳。下巻巻末に新井満「ロフティングの出生証明書」(2000年秋)を附す。後年の版では岩波書店編集部「読者のみなさまへ」(2002年1月)が加わる。
1979年10月17日刊、2000年11月17日新装版。
ヒュー・ロフティング、井伏鱒二については『ドリトル先生アフリカゆき』評末尾を参照。
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