岩波少年文庫を全部読む。(4)岩波少年文庫の本領発揮? それともヴァイオレントなホラーアクション? アリソン・アトリー『グレイ・ラビットのおはなし』
これぞ岩波少年文庫!
この連載は、岩波少年文庫の通し番号順に取り上げています。その通し番号は、2000年の岩波少年文庫リニューアル時につけられたものです。
ここまでの3回で、フランスとチェコの小説家の唯一の童話(集)1点ずつと、岩波少年文庫立ち上げスタッフ(もちろん日本語で書く人)の単行本デビュー作が並びました。
これらはそれぞれに著名な作品であり、岩波少年文庫のロングセラーであり、とりわけ『星の王子さま』はおそらく累計部数がとんでもないことになっているベストセラーでもありましょう。
でも、それらが「いかにも岩波少年文庫」なラインナップかと言われると、それはどうかしら。
そもそも、岩波少年文庫は翻訳ものが中心だから、日本の作品というのは例外とまでは行かないけど、少数派だし、フランスやチェコの作品、それも大人向け作家が例外的に書いた童話というのは、これまた岩波少年文庫のなかではけっして標準的(偉いという意味ではない)なものではない気がします。
(そもそも、よく言われることですが、フランスは児童文学については厚みに乏しい国なのです)
岩波少年文庫らしい岩波少年文庫というのは、20世紀前半から中盤の、広義のゲルマン系言語(英語、ドイツ語、オランダ語、スウェーデン語など)圏、とりわけ英国の、児童文学プロパーな作家の作品。
……というのはあくまで僕の勝手な思いこみですが、賛成してくれる人もいないことはないでしょう。
4回目にして、やっとそういう「スタンダードな岩波少年文庫」って感じのタイトルが出てきました。アリソン・アトリーの『グレイ・ラビットのおはなし』です。
多彩な動物キャラクターとのどかな田園世界
《グレイ・ラビット》シリーズは1929年から作者の死の前年である1975年まで、じつに半世紀近く、毎年のように刊行され、僕が把握したかぎりでは戯曲(集)2点を含む37タイトルあります。
本書には1932年までに刊行された最初の4タイトルが、「第一話」から「第四話」として訳載されています。
控えめで優しい、でも芯の強いヒロインであるグレイ・ラビット(Little Grey Rabbit、灰色兎)、やや向こう見ずなところもある自信家のヘア(Hare、野兎)、愛想はいいが我儘なスキレル(Squirrel、栗鼠)が、森のはずれの小さな家でルームシェアしています。
他のキャラクターには、乳搾りを生業とするハリネズミ(Milkman Hedgehog)、その息子のファジー坊や(Fuzzypeg)、そのいとこビル(Bill)、郵便屋のムネアカ・コマドリ(Robin)、なんでも知ってるけど昼間は眠たいカシコイ・フクロウ(Wise Owl)、モグラのモルディ(Moldy Warp)、トード(Toad、蟇蛙)、ラット(Rat)、マダラ・メンドリ(Speckledy Hen)、捕食者としてのキツネ(Fox)などがいます。
バンチンおばあさんやスノウボールおくさん、鍛冶屋さんといった人間も登場しますが、少なくとも本書収録作ではあくまでちょい役です。
動物たち同様のプレゼンスを見せてくれるのが、舞台となったのどかな田園世界。市場も出てきますが、あくまでメインとなるのは森であり、小川であり、草っ原です。
その風景を記述する本文のさりげない美しさは、大人の読者である僕には、キャラクターたちよりもさらに魅力的でした。
ピースフルではないハードコアな暴力世界
しかしそんな田園風景の美しさとは対象的に、「第一話」として収録された「スキレルとヘアとグレイ・ラビット」(1929)は強烈でした。
恐ろしい敵キャラ・イタチに、ヘアとスキレルが攫われ、袋に入れられてお持ち帰りされてしまった。グレイ・ラビットはふたりを救うために、鋏と縄と棒を持って、イタチの家に単身向かう……。まさにハリウッド製ホラーアクション映画の図式です。
僕の好きなタイプの映画でよくありますよ、こういう演出。
イタチはオーヴンに火をガンガン炊いている。グレイ・ラビットはイタチの隙を衝いて袋の口を開け、ヘアとスキレルに脱出用の縄を渡してふたりを2階から逃がし、自分はそこにあった3本脚のスツールを抱えて袋のなかに入る。そしてスツールの脚のあいだに小さくなって身を隠す
袋の中身が入れ替わっていることに気づかないイタチは、歌を歌いながら袋を蹴飛ばす。
サイコホラー映画に出てくるイカれたシリアルキラーの表現が、1920年代英国の児童書でもう完成していたとは……。
イタチはオーヴンの天板に油を垂らし、袋を棒でガンガンと殴りつける。グレイ・ラビットは袋のなかでスツールの脚のあいだで身を守りながら、悲鳴をあげて聞かせる。イタチが〈ダン! ダン!〉と叩けば、グレイ・ラビットは〈ああ! ああ!〉と声を出す。そして、何度もこのやりとりがあったあと、グレイ・ラビットは絶命したかのように沈黙を保つ。
ここのところ、基本的には「ヘンゼルとグレーテル」なのですが、なかなかのアクションシーンに仕上がっているではありませんか。走ってくるグレイ・ラビットの背後でイタチの家が大爆発するシーンが見える(大爆発してません)。
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そして無事再会できたヘアとスキレルが〈もし、あいつが、こんど、ここへ出てきたら──〉と言うのを遮って、グレイ・ラビットは言うのです。
ミラ・ジョヴォヴィッチ、あるいはジェイソン・ステイサムがやりそうな役どころではありませんか。
《グレイ・ラビット》シリーズは半世紀近く続いた
この岩波少年文庫版の挿画はフェイス・ジェイクス(下記参照)ですが、《グレイ・ラビット》シリーズのオリジナル絵本の挿画は1965年刊行の第32作まではマーガレット・テンペスト(1892-1982)でした。そちらは『絵本 グレイ・ラビットのおはなし』(岩波書店)で見ることができます。
1967年以降の最終5作の挿画は、キャサリン・ウィグルズワース(1901-?)が担当しています。
絵本での日本語訳は岩波書店に先立って、1970年代後半から1980年代にかけて評論社《児童図書館・絵本の部屋》叢書から《グレー・ラビット》シリーズとして神宮輝夫、河野純三の訳で12点ほど刊行されていました。挿画はテンペスト。
ついで1980年代に偕成社から《リトル・グレイラビット》シリーズとして箕浦万里子、真方陽子訳で8点出ていました。挿画はテンペストのものとジェイクスのものがあります。
岩波少年文庫版は1990年代の新訳ということになります。
このさらにあと、2000年代にはいって、神宮輝夫による改訳4点が童話館出版から《グレー・ラビットのおはなし》として刊行されています。
Alison Uttley, The Squirrel, the Hare, and the Little Grey Rabbit (1929) ; How Little Grey Rabbit Got back her Tail (1930) ; The Great Adventure of Hare (1931) ; The Story of Fuzzypeg the Hedgehog (1932)
1995年6月8日発行、2000年6月16日新装版
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