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岩波少年文庫を全部読む。(38)第1巻の時期におこったサイドストーリー クライヴ・ステイプルズ・ルイス『馬と少年』

(初出「シミルボン」2021年6月17日

《ナルニア国ものがたり》前日譚篇に突入

 『銀のいす』に続くシリーズ第5巻。作者の意嚮に添って作中世界の時間順に再配列した光文社古典新訳文庫版では第3巻に相当します。

 この巻と次巻『魔術師のおい』はここまでのクロノロジカルな展開から一転、作中の時間をさかのぼり、本巻ではスピンオフ的なサイドストーリーを、そして次巻ではナルニアの発端という前日譚を物語ります。

 最終巻『さいごの戦い』を前にして、書き残したことを書いておこうという作者ルイスの気合が満ちており、この2冊の潑剌たる躍動感たるや、じつにみずみずしいものでした。

ペヴェンシー4兄妹支配下の物語

 本巻の作中年代は、冒頭に明記されています。

これからお話しするのは、ピーターがナルニア国の一の王で、その弟とふたりの妹も、それにつづく王、女王だった黄金時代に、ナルニアとカロールメンの二つの国と、そのあいだにはさまれた地方でおこった、ある冒険の物語です。

 ペヴェンシー4兄妹がナルニアに君臨していた時代とですから、第1巻『ライオンと魔女』と第2巻『カスピアン王子のつのぶえ』のあいだの時期、というか、正確には『ライオンと魔女』の終盤で省略された時期のできごと、ということになります。

 この巻は主人公=視点人物が異世界ネイティヴである唯一の巻です。ナルニアを支配中のペヴェンシー兄妹の姿はほんの少しだけ出る程度。ナルニアの南にあるカロールメン国の漁師の養子シャスタが主役を張って冒険を繰り広げます。

 シャスタの相棒となる、人語を解するナルニア生まれの馬ブレーは、レーモン・クノーの小説『青い花』(1965。新島進訳、水声社《レーモン・クノー・コレクション》第12巻)に登場するデモステーヌとステファーヌを思わせますが、先例としてはケストナー『五月三十五日』(1932。高橋健二訳、岩波書店《ケストナー少年文学全集》第5巻)のネグロ・カバロがいます。

 『五月三十五日』は第1巻『ライオンと魔女』評でも洋服箪笥からの異界探訪の先例として挙げていました。ルイスはこの先行例を知っていたのでしょうか。

ブリコラージュ? ポストモダン?

 カロールメン帝国は専制政治を敷いていて、その息苦しさからどう逃れるか、が本巻の動機となります。シャスタはカラバール地方の領主の娘アラビスとともにナルニアへの亡命を試みます。

 カロールメンの王子は軍勢を率いて、自国とナルニアとのあいだにあるアーケン国を攻めようとしています。シャスタとアラビスはアーケン国にこの不穏な動きを伝えようとします。

 すでに第1巻から、ギリシア神話由来のフォーン(牧神パンのラテン名ファウヌスの英語読み)とサンタクロースが同じ世界で活躍したりしていましたが、本巻の中東的意匠は全体に『千一夜物語』ふうの異国情緒があります。本作は、作者ルイスの手当たりしだいのブリコラージュ(寄せ集め)的、パッチワーク的イメジャリーの強みがもっともよく出た巻です。

 では次回、『魔術師のおい』でまたお目にかかりましょう。

Clive Staples Lewis, The Horse and his Boy (1954)
ポーリン・ベインズ挿画。瀬田貞二訳。冒頭に「はじめて「ナルニア国ものがたり」を読むかたに」(『ライオンと魔女』評「訳者あとがき」からの抜粋)、巻末に小風さち「馬とイギリス人・ルイス」(2000年秋)を附す。
1986年3月12刊、2000年11月17日新装版。
クライヴ・ステイプルズ・ルイス、ポーリン・ベインズ、瀬田貞二については『ライオンと魔女』]の末尾を参照。

小風さち 1955年東京生まれ。父は児童文学者・編集者の松居直。英国で10年を過ごす。『ゆびぬき小路の秘密』(福音館文庫)で野間児童文芸新人賞。著書に『わにわにのおふろ』『ぶーぶーぶー』(福音館書店)、『倫敦厩舎日記〔ロンドン・ステイブル・ダイアリー〕』(文藝春秋)、訳書にマーゴット・ツェマック『みっつのねがいごと』(岩波書店)など。

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