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岩波少年文庫を全部読む。(81)鯨は野菜だ。 テッド・ヒューズ『クジラがクジラになったわけ』

 ずっとずっとむかし、まだ世界ができたてのまっさらで、けものや小鳥たちもいなかった大むかし、太陽は空にのぼり、地球の第一日目がはじまりました。
 いろんな花がいっせいにぴょこぴょことび上がり、びっくりしたようにあたりを見回しました。そしてあちらからもこちらからも、木の葉の下や岩のかげから、動物たちが出て来はじめました。
 〔…〕動物たちはみんなどれもこれも似たようなかっこうで──今いるような動物たちとは、とてもちがっていたのです。どんな動物になるのか、動物たちにもわかりませんでした。

テッド・ヒューズ『クジラがクジラになったわけ』(1963)
河野一郎訳、岩波少年文庫、6-7頁

神さまだって失敗する

テッド・ヒューズの連作短篇集『クジラがクジラになったわけ』(1963。河野一郎訳、岩波少年文庫)には、動物の起源にまつわる物語が11篇収録されています。「フクロウがフクロウになったわけ」「ネコがネコになったわけ」「ゾウがゾウになったわけ」……。

本書所収の物語にはしばしば、〈神さま〉が登場します。いわば動物たちの製造者責任を負う存在です。
この〈神さま〉は神学ふうの存在ではなく、非情に人間くさいキャラクターです。その創造行為には成功もあるけれど、失敗もけっこうある。
第6篇「カメがカメになったわけ」では、亀に〈あなたは神さまなんでしょ〉と突き上げられたりしています(99頁)。

表題作である第2篇「クジラがクジラになったわけ」では、鯨が〈神さま〉の畑で野菜として育ったとされています。鯨が海にいるのは、たんに大きく育ちすぎて、海にしか置けなくなったからなのです。

悪魔は「隣の欲張り爺さん」

第7篇「ミツバチがミツバチになったわけ」では、蜜蜂は地球のまんなかに住んでいる悪魔の被造物です。
この悪魔も神学的な存在ではなく、民話的なコメディリリーフです。神の真似をして創造行為に手を出してみる彼は、「花咲か爺さん」「瘤取り」に出てくる「真似して失敗する隣の業つくばり爺さん」役みたいなものだ。

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