見出し画像

岩波少年文庫を全部読む。(28)ドリトル先生版『銀河鉄道の夜』? それとも『ムーンレイカー』the Movie? ヒュー・ロフティング『ドリトル先生月へゆく』

(初出「シミルボン」2021年4月8日

ついに月へ!

 『ドリトル先生と月からの使い』に続くシリーズ第8作にして、「月3部作」第2篇。

 ドリトル先生、鸚鵡のポリネシア、チンパンジーのチーチーに密航者である助手で語り手のトミー・スタビンズは、なぜか先生を月に呼び寄せているらしい使者・巨大蛾につかまって月面に到達しました。

 月には恐ろしく巨大な植物がぽつぽつと散らばり、その「樹齢」も非常に長いものらしい。手探りで調査を始めた一行は、大きな〈おしゃれのユリ〉との意思疎通に成功します。そういえばこの連載の第1回で取り上げた『星の王子さま』では王子の星に「メンヘラの薔薇」がいましたが…。

人類最初の戦争

 猿のチーチーによれば、人類最初の戦争は、

月は女神か、そうでないか〔井伏鱒二訳、142頁〕

という論争に端を発するというのです。

 この設定について、エッセイストの高田宏はつぎのように言っています。

現代の戦争もたいていそんなものです。経済的な理由も入ってはきますが、まず、よその集団の考えていることが気に入らないために、戦争をするのです。宗教の違いであったり、人種や民族の違いであったり、イデオロギーの違いであったりしますが、お互いに自分たちの考えが正しくて相手の考えがまちがっていると言って戦争をはじめるわけです。〔『生命〔いのち〕のよろこび ドリトル先生に学ぶ』新潮選書、1996、85頁〕

 チーチーから話を聞いた先生は〈きげんを悪くしていいました〉。

なんという残念なことだろう! 自分が正直にして、人のためになる生活をして、幸福に暮らしていたら、ほかの人が何を信じたってかまわないだろうに、それをとやかくいって!〔143頁〕

 いまでも争いの多くは、他人の人生に容喙しようとするところからはじまります

先生が月に呼ばれた理由

 月には植物だけでなく虫や鳥もいて、民主的な〈会議〉によって争いを予防するという情報が得られます。これはまさに当時(大戦間)の国際協調主義を反映した設定のようですが、〈会議〉についての具体的な詳細については、先生たちはなかなか得ることができません。

 前作でチーチーが祖母から聞いた伝承の主人公・彫刻家オーソ・ブラッジが、〈会議〉創設者にして議長である巨人として一行の前にあらわれます。彼は月面唯一の人間でした。

 彼は地球に住んでいたとき、妖精ピピティーパとの別離後、大規模の噴火のせいで地球の一部もろとも地球から分離し、そこが月となり、彼やそこにいた生物たちは低重力環境ですべて巨大化したのです。

 最近の地球の噴火のあおりで新たに月に飛ばされてきたかわせみが、足の水腫に悩むオーソに先生の評判を使え、オーソは巨大蛾ジャマロ・バンブルリリイを地球に派遣して先生を迎えたのです。

 このあと〈私〉スタビンズはオーソの策略で、ジャマロに乗せられて地球に強制送還させられてしまいます。月で数週間を過ごした〈私〉は身長3㍍超の巨体になっており、期間限定でサーカスの見世物として出演料を得たのち帰郷します。

衰えゆくユートピア

 本書に出てくる月のユートピアは、新しい生命を生み出すノイズを持っていません。静かに平和に、徐々に衰弱していくものとして記述されています。英文学者・児童文学研究者の脇明子さんは、このようにコメントしています。

不可能なユートピアはやはり病み衰える運命にあったのだった。ただ奇妙なことに、この絶望的に暗い世界は不思議な魅力を持っている。〔…〕
その感じは、少なくとも私にとっては、『銀河鉄道の夜』の風景やアラカボア〔ウォルター・デ・ラ・メア『ムルガーのはるかな旅』(1910)脇明子訳、岩波少年文庫〕の山々が持っている魅惑と等質で、たぶんそれらが共通して感じさせてくれるのは、深い夢や空想の中への沈潜がもたらす、内界の風景の記憶なのだ。〔脇明子『ファンタジーの秘密』(1991)沖積舎《ちゅうせき叢書》191頁。引用者の責任で改行を加えた〕

 これは非常に有効な補助線です。

 「月3部作」はシリーズ前半のイケイケに慣れ親しんだ読者には非常に強い違和感というか「コレジャナイ感」を与えるはず。この3作にシンクロするためには、これまでの6作とは違うモノサシが必要になってくるのです。

 どうか月3部作は、『銀河鉄道の夜』](https://shimirubon.jp/reviews/1702741)を読むような気持ちで読んでみてください。

 もっとも、ドリトル先生が宇宙へ飛び出す月3部作を、007映画シリーズ異色の第11作『ムーンレイカー』(1979)のようなものとして捉えるのもまた一興です。

 ただしイアン・フレミングの原作であるシリーズ第3作『007 ムーンレイカー』井上一夫訳、創元推理文庫)はアポロ計画以前の1955年に刊行され、ボンドが英国から一歩も出ないという逆の異色作です。

 ややこしいのですが、映画と同年に刊行されたノヴェライゼイションはクリストファー・ウッド『007とムーンレイカー』(井上一夫訳、創元推理文庫)です。

クリストファー・ロビンはドリトル先生ファンだった

 クリストファーで思い出しました。『クマのプーさん』シリーズのクリストファー・ロビンのモデルである、作者ミルンの幼い息子が、ドリトル先生ファンだったことを、今年になって知りました。彼はシリーズ第1作『ドリトル先生アフリカゆき』が刊行された年に生まれています。


 彼はのちに回想記で、プーさんシリーズ完結篇『プー横丁にたった家』が刊行された8歳のときのことを、こう書きました。

八つのころ、動物ずきの私が「ドリトル先生」のファンだったとしてもふしぎではない。ある日、私はヒュー・ロフティングにそのことを書いてやった。〔…〕私がどのくらいその本がすきかということを知らせたかったからでもあった。〔…〕
私は返事をもらった。そして、ロフティングが、彼の本のうちでまだ私が読んでいない本はどれか、あったら送るといってくれたとき、私はうれしくてぞくぞくした。小さな子どもに、あれほどの喜びをあたえてくれた親切なロフティング。〔クリストファー・ミルン『クマのプーさんと魔法の森』(1974)石井桃子訳、岩波書店、157頁。引用者の責任で改行を加えた〕

 クリストファー・ロビンが8歳のとき、本書『ドリトル先生月へゆく』は米国では刊行されていましたが、英国ではまだでした。ロフティングは本書をクリストファー・ロビンに送ったのでしょうか?
## 先生は月からなかなか帰ってこない
 このあたり、年表にしてみるとこうなります。
1882 アラン・アレグザンダー・ミルン誕生。
1886 ヒュー・ロフティング誕生。
1912 ロフティング渡米。
1916 ロフティング従軍、西部戦線に赴く。ミルン、ソンムの戦いで負傷。
1917 ロフティング負傷、アイルランドに送還される。ミルン『ユーラリア国騒動記』。
1919 ロフティング再渡米。
1920 クリストファー・ロビン・ミルン誕生。ロフティング『ドリトル先生アフリカゆき』
1921 ミルン『赤い館の秘密』。
1922 ロフティング『ドリトル先生航海記』(以下、『月へゆく』まで英国版は米国版の翌年)。
1923 ロフティング『ドリトル先生の郵便局』、『タブスおばあさんと三匹のおはなし』。
1924 ロフティング『ドリトル先生のサーカス』。ミルン『クリストファー・ロビンのうた』。
1925 ロフティング『ドリトル先生の動物園』「ドリトル先生、パリでロンドンっ子と出会う」。ミルン『こどもの情景』。
1926 ロフティング『ドリトル先生のキャラバン』。ミルン『クマのプーさん』
1927 ロフティング『ドリトル先生と月からの使い』。ミルン『クマのプーさんとぼく』。
1928 ロフティング『ドリトル先生月へゆく』。ミルン「パーフェクト・アリバイ」、『プー横丁にたった家』
1929 ミルン『ヒキガエル館のヒキガエル』(ケネス・グレアム『たのしい川べ』の劇化)。
1930 ロフティング『ささやき貝の秘密』。
1931 ミルンのプーさんシリーズの画家アーネスト・H・シェパード、『たのしい川べ』の新版に挿画を描く。
1932 ロフティング『ガブガブの本』(ドリトル先生もの番外篇)。グレアム歿。
1933 ロフティング『ドリトル先生月から帰る』。ミルン『四日間の不思議』。

 どうです? 本書まで毎年新作を出してた本シリーズが、「月3部作」になってその第2部から完結篇がまで5年空いてしまっています。その間作者は、シリーズと関係ない単体作品やシリーズの番外篇に寄り道したりしています。
 これは作者、ドリトル先生を地球に戻すのに相当難渋したんでしょうね。脇明子さんはこう書いています。

きわめて意味深長なのは、ドリトル先生のシリーズが、二巻目の『航海記』からは毎年一冊ずつ規則正しく出されているのに、『月から帰る』は『月へゆく』から四年たって、やっと出ているということだ。先生はほぼ一年後に帰ってきたことになっているが、読者は留守家族の動物たちよりもはるかに長く、不安な思いで待たされることになったのである。〔「ヒュー・ロフティング『ドリトル先生月へゆく』」前掲『ファンタジーの秘密』所収、289頁〕

 ちなみに番外篇『ガブガブの本』は目下のところ岩波少年文庫には入っていないので、この連載で取り上げる予定はありませんが、近代児童文学史上に燦然と輝く奇書であることは間違いありません。

 では次回、『ドリトル先生月から帰る』でまたお目にかかりましょう。


Hugh Lofting, (1928)
挿画もヒュー・ロフティング。井伏鱒二訳。巻末に長谷川眞理子「博物学のおもしろさ」(2000年秋)を附す。後年の版では岩波書店編集部「読者のみなさまへ」(2002年1月)が加わる。
1955年12月15日刊、2000年11月17日新装版。
ヒュー・ロフティング、井伏鱒二については『ドリトル先生アフリカゆき』評末尾を参照。

長谷川眞理子 1952年東京生まれ。幼児期を紀伊田辺で過ごす。東京大学大学院理学系研究科人類学専門課程博士課程単位取得退学。タンザニア天然資源観光省野生動物局勤務、東京大学理学部生物学科人類学教室助手。野生チンパンジーの研究で東大理学博士。専修大学法学部教授、早稲田大学政治経済学部教授、 総合研究大学院大学葉山高等研究センター教授を経て同先導科学研究科生命共生体進化学専攻教授。著書に『オスとメス=性の不思議』(講談社現代新書)『雄と雌の数をめぐる不思議』(中公文庫)『進化とはなんだろうか』(岩波ジュニア新書)『進化生物学への道 ドリトル先生から利己的遺伝子へ』(岩波書店)『生き物をめぐる4つの「なぜ」』(集英社新書)、共著に《中学生からの大学講義》第3巻『科学は未来をひらく』(ちくまプリマー新書)、訳書にダーウィン『人間の由来』(講談社学術文庫)夫である行動生態学者・長谷川寿一との共訳にジャレド・ダイアモンド『人間はどこまでチンパンジーか? 人類進化の栄光と翳り』(新曜社)など。

ここから先は

0字
この記事のみ ¥ 100
期間限定!PayPayで支払うと抽選でお得

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?