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岩波少年文庫を全部読む。(67)元祖「トイ・ストーリー」の悲しすぎるサイコホラーエンディング ルーマー・ゴッデン『人形の家』

人形の擬人化?

本稿ではのちほど、本作ルーマー・ゴッデン『人形の家』(1947。瀬田貞二訳、岩波少年文庫)が人形を擬人化した、と書くことになります。

しかし、そもそも人形は「人」の「形」です。そして擬人化(anthropomorphism)は人ならざるものを人(anthropos)の形(morphe)にする作用です。
なので、人形を擬人化するというのは同義反復に近い気もします。

僕はこの、人形を擬人化するパターンがどうも苦手です。
ホフマン『クルミわりとネズミの王さま』(1816。上田真而子訳、岩波少年文庫)はまだいいのですが、

アンデルセン「しっかり者の錫の兵隊」(1838。大畑末吉、『完訳 アンデルセン童話集』第1分冊所収、岩波文庫)ともなると、大いに苦手。

さて作者ゴッデンは、伝記『アンデルセン 夢をさがしあてた詩人』(1955。山崎時彦+中川昭栄訳、偕成社)を書いているくらいのアンデルセン支持者です。

ですから、本作『人形の家』もアンデルセン譲りの感傷と「もののあはれ」に満ちていて、ある意味で童心主義的ともいえるところが、どうにもつらいのです。

とはいえ、やはり最後のショッキングな、ほとんどサイコホラーな結末を、僕は高く評価します。マーチペインという人形が、チャッキーよりも「髪が伸びる日本人形」よりも怖いよ。

なお、人形に類するものに縫いぐるみというものがあります。
ミルン
『クマのプーさん』(1926。石井桃子訳、岩波少年文庫)のキャラクターたちは作者の息子クリストファー・ロビン・ミルンの縫いぐるみたちがモデルです。

でも彼らは、作中世界ではあくまでキャラクターであって、縫いぐるみそのものではない。縫いぐるみとして暮らしているわけではない。
「しっかり者の錫の兵隊」や『人形の家』に感じる生理的なしんどさが、『プーさん』シリーズには存在しない理由は、そのあたりにあるんだと思います。

人形や縫いぐるみは顔があるものですが、キャラクター化にもいろいろあって、『きかんしゃトーマス』の原作《汽車のえほん》シリーズは、顔のないものに顔をつけるというヴィジュアル戦略でした。

いちばん好きな擬人化は、目鼻のないものをキャラクター化したものですね。筒井康隆の『虚航船団』(1984。新潮文庫)の文房具とか。

アンデルセンはこっちもやっています。「ふたりのむすめ」(大畑末吉訳『アンデルセン童話集』第3分冊所収、岩波文庫)。

わずか3頁半の掌篇のなかに、「道具の擬人化」「職業婦人」「政治・経済的理由による名称変更」「結婚」などの着想・モティーフを詰めこみ、21世紀のコンテンツを予言したかのような。
なんだこの男女共同参画社会への皮肉は。アンデルセン怒られるぞ。あ、もう怒られてるか人魚姫で。
というのはこちらの心が汚れているのでそう読めるだけでしょうか。

人形たちの感情生活

さて『人形の家』の主人公トチー(トッティ)は古い人形。プランタガネットさん、ことりさん(バーディ)、りんごちゃん(アップル)、犬のかがり(ダーナー)という人形たちと、家族のように暮らしています。
彼らは一体一体素材が異なっています。たとえばトチーは木製、ことりさんはセルロイドなど。

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