岩波少年文庫を全部読む。(19)はやくおとなになった人は、長いことおとなでいられるよ。 エーリヒ・ケストナー『エーミールと三人のふたご』
(初出「シミルボン」2021年2月4日)
都市から海へGO
『エーミールと探偵たち』(1929)の6年後に書かれた続篇です。
あれから2年。14歳になったエーミールは前作で友人となったベルリンの少年たちと連れ立って、デンマークに近いバルト海沿岸コルルスビュッテルの海水浴場にある、参謀役の〈教授〉ことテーオの家の別荘で夏休みを過ごすことになります。
ベルリンの少年たちは続篇でも元気いっぱい。エーミールの親友である〈クラクション少年〉グスタフは警笛をヴァージョンアップしていますし、それに今回は〈教授〉の両親も登場。そしてイェシュケ巡査部長は警部に昇進し、エーミールの母とやがて結婚し、主人公の新しい父となることが明かされます。
バルト海は緯度からするとかなり北にあるので、慣れないとイメージしづらいかもしれませんが、長くはない夏には太陽と海を求めて多くの人が保養に訪れるリゾートがいくつもあります。物語前半は、この海辺での夏休みを描いてとにかくキラキラしてます。
こういう少年少女期の夏休みに郷愁を抱く向きには、(宣伝です)千野帽子編『夏休み』(角川文庫)をお勧めしたいです。
このリゾート地に、軽業師グループ〈バイロン・トリオ〉が営業に来ています。物語後半では、エーミールたちが〈バイロン・トリオ〉のトラブルを解決するために冒険を重ねます。
前作が映画化されたことを踏まえて書かれた作品
前作『エーミールと探偵たち』が1931年に映画化されました。日本語題は『少年探偵団』。本書はこの前作映画化を踏まえた作品です。だから作中時間も前作の2年後になっています。
ちなみに『エーミールと探偵たち』はディズニーによるものを含め、何度も映像化されてきました。1931年版のリメイクである1954年西ドイツ版はソフト化されています。
なお、その最初の映画化の脚本を書いたオーストリアのユダヤ人(生地はのちポーランド領)であるザムエル・ヴィルダーは、ケストナーがこの続篇を刊行する前年に米国に亡命していました。
ヴィルダーは、のちに『アパートの鍵貸します』や『お熱いのがお好き』、『シャーロック・ホームズの冒険』(邦題と異なり、同題短篇集とは違うオリジナルストーリー)などの脚本・監督・製作をつとめたビリー・ワイルダーです。この映画には、作者ケストナーが作中人物である新聞記者ケストナーさん役で出演しています。
というように、原作も映画もメタフィクショナルな前作でしたが、この続篇では、その映画の撮影場面が作中で言及されているというパラドクシカルなひねりが効いています。
そういえば『きょうのできごと』(2000)が2004年に映画化されたさいに、作者・柴崎友香はスピンオフ的短篇「きょうのできごとのつづきのできごと」(同年刊行された文庫版ではこれが最終話となっている)のなかで、登場人物たちと映画ロケ中の俳優陣たちをすれ違わせました。
ケストナーや柴崎友香のこれらの例は、セルバンテスの#『ドン・キホーテ』続篇(いわゆる〈後篇〉)で、ドン・キホーテ主従が出くわす人びとの多くがベストセラーとなった前作である正篇(いわゆる〈前篇〉)を読んでいて主従のことを知っている、という展開を思わせます。
理想論は泥水をすすってこそ
〈バイロン・トリオ〉をめぐる冒険も、少年たちの二度とこない夏のかけがえのなさも、メタフィクショナルな茶目っ気も、どれも尊いものですが、この小説のなかでいちばん刺さるのは、母(ヘアサロンを経営するシングルマザー)の再婚を控えたエーミールが、森で祖母に助言をもらう場面です。
少し長目に引用します。じっっっくり、読んでみてください。できたら、音読で。
泥水をすすることが前提となっている理想論て、カッコいい。
やっぱすごいなケストナーおじさん…。こういうふうに「責任」を負うこと、もっと言うと折り合いをつけること、他責の気持ちを手放すことって、抑圧大嫌いな現代の(齢だけ)大人がいちばん苦手とする行為じゃないでしょうか?
このあとのエーミールの返事を聞いて、おばあさんは、
と声をかけるのですが、極論するとこれはエーミールが〈だまってる。死ぬまで〉とチョイスしたからというよりも、エーミールが(どちらの答えであれ)自分の責任でチョイスしたからだし、彼がリスクも苦労も他責しない覚悟を決めたからだ、と思うのです。子どもから大人になるために飛び越えなければならない溝を、主人公は祖母の力を借りて超えたのです。
作中のエーミールは14歳、そしてカヴァー表4惹句に添えられた目安によれば、本書の想定読者は〈小学4・5年以上〉つまり9歳から。
『エーミールと三人のふたご』も『点子ちゃんとアントン』も、子ども相手にすごい「責任」の話をぶっこんでくるので、大人になって読むと我が身のいたらなさに直面させられます。
Erich Kästner, Emil und die drei Zwillinge (1935)
2000年7月18日刊。ヴァルター・トリアー挿画、池田香代子訳。訳者あとがきを附す。
エーリヒ・ケストナー、ヴァルター・トリアー、池田香代子については『エーミールと探偵たち』評末尾を参照。
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