岩波少年文庫を全部読む。(17)1943年、オハイオ州センターバーグ。なぜか懐かしい。 ロバート・マックロスキー『ゆかいなホーマーくん』
呑気で滑稽なクレシェンド
ラジオ修理が趣味というホーマー・プライスくんは、オハイオ州センターバーグという小さな町で父の仕事を手伝いながら暮らしている穏やかな少年。この連作短篇集には、彼を主人公とする6篇が収録されています。
ペットのスカンクといっしょに強盗事件に巻きこまれたり(「ものすごい臭気事件」)、映画館の劇場イヴェントに登場したアメコミヒーロー〈スーパー=デューパー〉の思わぬ正体を見てしまったり(「大宇宙漫画」)、ダウンタウンにあるユリシスおじさんの店で新しい自動ドーナツメーカーを使っていたらマシンが暴走して止まらなくなったり(「ドーナツ」)と、ホーマーくん基本的に巻きこまれ型ですね。
スーパー=デューパーの元ネタとなった『スーパーマン』の連載は本書刊行の5年前に開始され、最初の短篇劇場アニメは2年前に公開されました。まさにリアルタイムのはやりネタだったわけです。
ギリシア古典文学のパロディ?
テリーおじさんと地元保安官は、編みものの先生ターウィリガー嬢をめぐってライヴァル関係にあります。ふたりはどちらが彼女と結婚できるかをめぐって、ある珍妙な方法で勝負を決めようとします。しかしその競争になぜかターウィリガーさん自身が参戦!(「いとふしぎな物語」)
ちなみにホーマーは古代ギリシアの叙事詩人ホメロスの英語名、ホーマーの祖父ハーキュリーズはギリシア神話最大の英雄ヘラクレス(のラテン名ヘルクレス)の英語読み、ユリシス(ユリシーズ)おじさんの名はホメロスの『オデュッセイア』の主人公オデュッセウス(のラテン名ウリセス)の英語読み、テリーおじさんことテレマカスはオデュッセウスの息子テレマコス(のラテン名テレマクス)の英語読みです。
と考えると先述の「いとふしぎな物語」は、俊足の女戦士アタランテが求婚者たちに、「私と競走して勝ったら結婚してあげる」と条件を出して、多くの敗退者を出した話のパロディでしょうか?
となれば「ドーナツ」はルキアノスの「嘘好き人間」(丹下和彦訳、《ルキアノス全集》第3巻『食客』所収、京都大学学術出版会《西洋古典叢書》)をもとにしたゲーテの「魔法使いの弟子」へのトリビュート作でしょうか?
なお、ゲーテの「魔法使いの弟子」を音楽化したデュカスの同名曲をもとにミッキーマウスが弟子(ということはホーマーくんの立場)を演じたベン・シャープスティーン監督の『ファンタジア』は、本書刊行の3年前に公開されました。
絵本との違い
「この世にあたらしきものは、なにも(ほとんど)なし」の題は《旧約聖書》中の異色作『伝道の書』(『コヘレトの言葉』)第1章第9節〈日のもとに新しきものなし〉のもじりです。
このお話はやはりゲーテの「鼠捕りの男」やグリム兄弟の『ドイツ伝説集』で知られる「ハーメルンの笛吹き男」のパロディ。
最終話「進歩の車輪」では「ドーナツ」騒動の発端となった大富豪エンダース夫人が再登場し、こんどは住宅の狂躁的大量生産への道を開きます。エンダースさんとユリシスおじさんが接触するとこういうことになるので、ふたりは「まぜるな危険」です。
本作の前に描かれた『かもさんおとおり』(1941。渡辺茂男訳、福音館書店)のおっとりとした諧謔や、のちに刊行した『サリーのこけももつみ』(1948)『海べのあさ』(1952)(いずれも石井桃子訳、岩波書店)の静謐な叙情とは違って、本書ではややドタバタ風味のハイスピードなコメディが展開されます。
けれど、そのドタバタにもどこか悠揚迫らぬところがあり、それはまずは主人公ホーマーくんの穏和さ、もうひとつは石井桃子による風通しのいい日本語訳に負うものだと思われます。
それにしても1943年、オハイオ州センターバーグ。自分が生まれる前の、行ったことのない町なのに、なぜか懐かしい……。
よその国の、自分が存在すらしていなかった過去(しかも大戦中)が、なぜこんなに懐かしいのか。ひょっとして、スーパーマンやディズニーなどの「1940年代初頭のいまのノリ」を素直に反映している作品だから、なのでしょうか?
なお、ホーマーくんを主役とした本作の続篇Centerburg Tales(全4話)が1951年に出ているようです。
Robert McCloskey, Homer Price (1943)
挿画も著者による。石井桃子訳。巻末に「訳者のことば」を附す。
1951年11月15日刊、2000年6月16日新装版。
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