岩波少年文庫を全部読む。(33)シリーズ完結! ドリトル先生は聖フランチェスコかブラウン神父か? ヒュー・ロフティング『ドリトル先生の楽しい家』
デビュー作『アフリカゆき』のサイドストーリーも
歿後刊行の『ドリトル先生と緑のカナリア』に続くシリーズ第12弾にして完結篇、唯一の短篇集です。
冒頭に作者の夫人ジョセフィン・ロフティングの序文「はじめに」と、編者である作者の助手オルガ・マイケル(ドイツ系カナダ人の振付師。ジョセフィン夫人の妹)による「ドリトル先生とその家族」が収録されています。
全8篇中第6篇「あおむねツバメ」は、ジョリギンキ王国を出発したあとの一行を追ったもの。つまり第1作『ドリトル先生アフリカゆき』のサイドストーリーです。
ここで先生は、鳥たちと協力してガンビア・グーグーの国を虫害による滅亡から救い、鳥の乱獲をやめるように人びとに演説します。すると、
「新しい女」は19世紀末からのフェミニズムで、肯定的にも否定的にも言われた表象です。『キャラバン』に出てきたピピネラはフェミニズム的自己実現を目指すのでしたね。ただロフティングの文章は、フェミニズムの肯定的評価のみならず否定的評価をも含んでいます。
長篇に組みこまれなかった挿話群
それ以外の7篇は、第5作『ドリトル先生の動物園』(1925)、第6作『ドリトル先生のキャラバン』(1926)、第7作『ドリトル先生と月からの使い』(1927)のどれかに収録するつもりでボツにしたり、改変されたりしたものとみてよいかと思います。
最終篇「迷子の男の子」は『ドリトル先生のキャラバン』のサイドストーリー。
話の中心となる迷子の少年は先生についてこのように言います。
聖フランシスことアッシジの聖フランチェスコ(1182-1226)には鳥をはじめ多種の動物たちと話をしたという伝説があり、修道会(フランシスコ会)では無一物を標榜しました。
ドリトル先生もまた動物たちと会話し、やはり蓄財に興味を持ちませんでした。
無一物の聖者と神父探偵
『ドリトル先生の郵便局』でも、先生は現金化すれば一生お金に困らないという真珠をもらうのですが、それを燕に持たせて遠くの国の農夫に届けさせるのです。
先生はこのように聖フランチェスコに似ているとされているのですが、いっぽうで作者自身の挿画から、チェスタトンが生み出した聖職者探偵ブラウン神父に似ている、という有益な補助線を引いてくれた人がいます。小説家の金井美恵子です。
聖フランチェスコとブラウン神父の共通点は言うまでもなくカトリックの聖職者であるということですが、そもそもプラウン神父の生みの親チェスタトンはブラウン神父シリーズを発表しているさいちゅうに英国教会からカトリックに改宗し、翌1923年に評伝『久遠の聖者 アッシジの聖フランチェスコ』を刊行しています(生地竹郎訳、春秋社《G・K・チェスタトン著作集》第6巻)。
名探偵といえば『ドリトル先生の動物園』に登場した探偵犬クリングが活躍するミステリ短篇「気絶した男」も本書に収録されています。本シリーズの大半が英米謎解き探偵小説の黄金期である大戦間1920年代の発表であることを思うと、なるほどという感じですね。
なお本シリーズには本書未収録の短篇「ドリトル先生、パリでロンドンっ子と出会う」(1925)があり、河合祥一郎による本書の新訳『ドリトル先生の最後の冒険』(角川つばさ文庫)に特別篇として併録されています。
Hugh Lofting, Doctor Dolittle's Puddleby Adventures (1927)
挿画もヒュー・ロフティング。オルガ・マイケル補訂。ジョセフィン・ロフティング序、井伏鱒二訳。巻末に角野栄子「へんしーん!」(2000年秋)を附す。後年の版では岩波書店編集部「読者のみなさまへ」(2002年1月)が加わる。
収録作 : 船乗り犬/ぶち/犬の救急車/気絶した男/カンムリサケビドリ/あおむねツバメ/虫ものがたり/迷子の男の子
1979年10月23日刊、2000年11月17日新装版。
ヒュー・ロフティング、井伏鱒二については『ドリトル先生アフリカゆき』(https://shimirubon.jp/reviews/1703713)評末尾を参照。
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