岩波少年文庫を全部読む。(27)月3部作、開幕。 ヒュー・ロフティング『ドリトル先生と月からの使い』
(初出「シミルボン」2021年4月1日)
シリーズ後半の「前半」は「月3部作」
『ドリトル先生の動物園』に続くシリーズ第7作。全12作の本シリーズもいよいよ折り返し点を回りました。本作の語り手もトミー・スタビンズです。
本作は明らかに「完結しない」終わりかた──このあとどうなるのでしょうか、それは次巻のお楽しみ、という〆──をしています。これは本シリーズ開始以来はじめてのことで、作者ロフティングも大いなる覚悟をもって「月3部作」に着手したことが伺えます。いわば「ギアチェンジ」がここでおこなわれているのです。
本作自体は4部構成となっていて、その第1部のほぼ全体は、テリア系雑種のケッチ教授の身の上話と、おなじみレギュラーキャラである犬のジップが語る見聞です。ジップはいまやパドルビーにある先生の家の〈動物園〉内・雑種犬ホームの会長、ケッチ教授はホームに所属する〈犬の博物館〉の館長。
小説家で英文学者の南條竹則が『ドリトル先生の世界』(2000/2011。国書刊行会)142頁で指摘するように、犬の世界に純血種と雑種とのあいだで階級差別があるのは早くから植民地政策の副産物である移民問題とつきあってきた英国社会への諷刺でしょうか。
登場キャラクターの語る枠内物語が興味の焦点となるのは、第3作『ドリトル先生の郵便局』で優勢となった本シリーズの特徴的な手法で、まずは月3部作のパート1である本書も、第2部中盤まで(ざっくり最初の4割程度)はこれまでの諸作のファンに取っつきやすい導入になっています。
しかし…。
あれ、こんどの本はなんか違うぞ。
このあと、先生が昆虫語の研究に乗り出した本作第2部の、その第10章の終わりで、〈一トンもある重いものを、羽の上にかるがると乗せて飛んだ〉という、かつて存在したらしい〈家ぐらいの大きな〉蛾(井伏鱒二訳、162頁)の情報があらわれて以降、徐々に軌道をはずれていく展開に読者は身を引き締める(か、好みによっては期待を裏切られて集中力を失ってしまう)ことでしょう。
この前後、蜉蝣が短い一生のなかでやるべきことをてきぱきやって死んでいく、その時間のありようを、先生はスタビンズくんに説いているのですが、エッセイストの高田宏はこれについて、つぎのようにコメントしています。
ある日、チーチーが祖母から聞いたというチンパンジーに伝わる伝説を語ります(またしても枠物語)。〈むかしむかし、その昔、まだ月のなかったころに……〉(172頁)、彫刻家オーソ・ブラッジと妖精ピピティーパとが出会って別れ、ピピティーパは青い玉の腕輪を残していった、というものです。
第2作『ドリトル先生航海記』に出てきた「ダーツの旅」的な〈運まかせの旅行〉がここでもとりおこなわれ、鉛筆がさしたのはなんと月面図! というところで第2部が終わります。
巨大な蛾は〈月からの使い〉
英文学者で児童文学研究者の脇明子さんは、本書第2部後半から本格的に指導する月3部作の雰囲気について、このようにコメントしています。
第3部にはいると、月にすぐに行くわけにはいかないよな……と冷静になった一同を驚かすように、庭に巨大な蛾があらわれます。
先生は月伝説を知るチーチーと語学の天才である鸚鵡のポリネシアだけを連れて、巨大蛾に乗って月へ行こうとします。この月への渡航方法は、2世紀のギリシア語作家であるサモサタのルキアノスが書いた短篇小説「本当の話」(167? 呉茂一訳、『本当の話 ルキアノス短篇集』所収)で船が風に飛ばされて月へ行くというトボケ具合につうじます。
あるいは6段ロケット的なもので月を目指すシラノ・ド・ベルジュラックの『月の諸国諸帝国』(1657。赤木昭三訳『日月両世界旅行記』所収、岩波文庫)、気球で月に向かうポウの「ハンス・プファアルの無類の冒険」(1835。小泉一郎訳、『ポオ小説全集』第1巻所収、創元推理文庫)といった黎明期SFの悠揚たる魅力を思わせます。
(なお、幻想文学・黎明期SFにおける宇宙旅行にかんする総覧としては、アポロ計画以前にマージョリー・ホープ・ニコルソンが書いた『月世界への旅』[1948。高山宏訳、国書刊行会《世界幻想文学大系》第44巻]が輝かしい業績です)
なぜあの2匹だけを連れて?
本書の最後で、先生はチーチーとポリネシアだけを月に伴おうとしました。このチョイスについて脇明子さんは、居残り組となった豚のガブガブや犬のジップらには〈「イギリスの日常生活」の感じ〉があるいっぽうで、帯同チームに選抜されたアフリカ出身2匹には、〈ひとつ間違うと先生を連れたままはるか遠くへ行ってしまって、二度と帰らないのではないかと思わせるようなところがある〉と指摘しています。うーむ、鋭い。
しかしトートーに入れ知恵されていたように、語り手のトミー・スタビンズがどうにか蛾の尻尾の毛につかまって月に同道することになります。おかげで僕ら読者は、一行の月での顚末を次巻『ドリトル先生月へゆく』で読むことができるのです。
この「少年密航者」という設定は、エーリカ・マン『シュトッフェルの飛行船』(1932。若松宣子訳、岩波少年文庫)や、エドワード・アーディゾーニの絵本デビュー作『チムとゆうかんなせんちょうさん』(1936。瀬田貞二訳、福音館書店)など、児童向けの冒険物語の様式美とも言えます。
月世界への到達をもって本書は幕を閉じます。
では次回、『ドリトル先生月へゆく』でまたお目にかかりましょう。
Hugh Lofting, Doctor Dolittle's Garden (1927)
挿画もヒュー・ロフティング。井伏鱒二訳。巻末に加古里子「引力・魔力・四つの魅力」(2000年秋)を附す。後年の版では岩波書店編集部「読者のみなさまへ」(2002年1月)が加わる。
1979年9月19日刊、2000年11月17日新装版。
ヒュー・ロフティング、井伏鱒二については『ドリトル先生アフリカゆき』評末尾を参照。
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