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岩波少年文庫を全部読む。(29)「月3部作」完結! ヒュー・ロフティング『ドリトル先生月から帰る』

(初出「シミルボン」2021年4月15日

ドリトル先生、巨大化!

 『ドリトル先生月へゆく』に続くシリーズ第9作にして、問題提起的な「月3部作」の完結篇。

 前作の最後に、語り手のトミー・スタビンズが月から強制送還され、サーカスでカネを稼いでやっとのことでパドルビーに帰郷します。

 主のないドリトル邸は荒廃しきっていました。〈動物園〉やその附属施設群は寂れはて、ジョリギンキ王国のバンポ王子はオックスフォード大学に戻っていました。スタビンズは猫肉屋マシュー・マグの紹介で肉屋の伝票整理をしながら、細々と留守を守ることになります。

 先生が屋敷を去って1年ほど経った月蝕の晩、約束の狼煙が上がり、こんどは蛾ではなく巨大な蝗に乗った先生、鸚鵡のポリネシア、チンパンジーのチーチーが帰ってきます。月で1年暮らした先生は5メートル半超の巨人と化していました。

月から来た猫イティー

 スタビンズとマシュー、その妻テオドシアは、第4作『ドリトル先生のサーカス』、第6作『ドリトル先生のキャラバン』で使用したサーカスのテントを庭に立てて、そこに先生を匿います。

 先生たちには、地球行きを志願した月の猫がついてきていました。

 数週間かけて徐々に先生の体はもとのサイズに戻っていきます。月からきた猫イティーへのドリトル邸の動物たちの排斥感情も、スタビンズの辛抱強い説得で、ゆっくりと和らいでいきます。

ユートピアの不可能性=一切皆苦

 前作で見たように、月は民主的な〈会議〉で他者侵害を回避するユートピアのように見えましたが、その副作用として、ひとつの世界として衰えてゆく運命にありました。月滞在を経て、先生はつぎのように述懐します。

だれでも博物学を研究したものは、おそかれ早かれ、この地上におけるすべての生活が、われわれにとって、絶望的なものだということに気がついて、恐れをもつようになるものだ。〔井伏鱒二訳、146-147頁〕

 英文学者で児童文学研究者である脇明子さんの指摘するとおり、〈これは著者の思考実験であった月旅行を経ての、わびしい結論だった〉〔「ヒュー・ロフティング『ドリトル先生月へゆく』」『ファンタジーの秘密』(1991)所収、沖積舎《ちゅうせき叢書》、295頁〕のです。

 先生は続けました。

命を保つために、生きておるものを殺すということだ。〔…〕ハエは魚にのまれる。魚はアヒルに食べられる。アヒルはキツネに食われる。キツネはオオカミに食い殺される。オオカミは人間にうたれる。人間は──われわれのこの世界では王者だが──そのかわり、お互いに敵対して戦争で殺しあっておる。〔147頁〕

 エッセイストの高田宏はこの一節について、つぎのように述べています。

ハエは魚にのまれ、魚はアヒルに食べられる……というのは、食物連鎖というもので、生物界(動物界)の必然です。それは辛いことかもしれませんが避けることのできない現実です。しかし、いまはすでに食物連鎖の頂点に立っている人間は、その必要はないのにお互い戦争で殺し合っているのです。

生命いのちのよろこび ドリトル先生に学ぶ』
新潮選書、1996、82頁

 本書が刊行された年、詩人で童話作家の宮澤賢治が亡くなりました。翌1934年、ヴィーガン思想を作品化した「ビジテリアン大祭」が遺稿から発表されています。

 また埴谷雄高が1946年から長期にわたって執筆を続け、完結しなかった『死霊』の第7章(1984)で、復活後に弟子たちが〈焼いた魚を一切れ差し上げると、受け取ってみなの前で食べられた〉(ルカ福音書第24章第42-43節)イエスその人が、〈影の影の影の国〉の〈最後の最後の『審判』〉に連れて行かれ、そのとき食われた魚に激越な口調で弾劾される、という場面が夢想されたりもします(『死霊』第3分冊、講談社文芸文庫、73頁以下)。

 それにしても〈この地上におけるすべての生活が、われわれにとって、絶望的なものだ〉というのは、仏教の四法印のひとつ「一切皆苦」のような言明ですね。

ユートピアであるはずの月の世界がおそろしく陰鬱に見えたのも理解できる。あれは、「理想社会など作れるはずがないのだ」と薄々悟り、それでも陽気な救世主であり続けなくてはならなかった先生の、ひそかな絶望から生まれた夢──負の方向へと建設された、悪夢の「理想社会」だったのではないだろうか。

脇明子「ヒュー・ロフティング『ドリトル先生月へゆく』」
『ファンタジーの秘密』269頁。

塀のなかに入りたい!

 この重い世界観の口直しでしょうか、本書末尾の展開は、読者の多くが期待するシリーズ前半6作のドタバタ騒ぎを意図的に再現しようとします。

 先生の帰郷を知った動物たちがあとからあとから屋敷を訪れるので、先生は落ち着いて月滞在記録をまとめるため、マシューの入れ知恵でゴレスビー・セントクレメンツ警察署の窓ガラスを割って、器物破損の軽犯罪で1か月拘禁刑を喰らおうと計画します。

 しかし鼠と穴熊の大群が先生を救うため警察署を地下から掘りまくり、警察署は参ってしまい、刑期の途中で先生を解放するにいたります。

「月3部作」とはなんだったのか

 ドリトル先生ファンの多くは、シリーズ前半6作、とりわけ第2作『ドリトル先生航海記』の、お祭り騒ぎのような向日性の狂躁に惹かれているように思われます。

 ですから、この「月3部作」の打って変わったひんやり感に困惑したのではないでしょうか。

少しずつではあっても先生はまた元気になり、小さくなり、日常世界の感覚をつかみ始める。ただ、明らかに何かが変わってしまったという感じは、この巻の物語が終わるまで、ついにぬぐい去られないままである。
そしてここにドリトル先生のシリーズは大休止となり、十四年してロフティングが亡くなってから一年後に、やっと次の『秘密の湖』が出版されている。〔…〕
十四年もあってなぜこれを完成し、本にすることができなかったのかと考えると、月での試練で受けた傷の深さをあらためて思わずにはいられない。

脇明子「ヒュー・ロフティング『ドリトル先生月へゆく』」
『ファンタジーの秘密』292頁。
引用者の責任で改行を加えた。

 では次回、『ドリトル先生と秘密の湖』でまたお目にかかりましょう。

Hugh Lofting, Doctor Dolittle's Return (1933)
挿画もヒュー・ロフティング。井伏鱒二訳。巻末に大平健「ドリトル先生は「立派な紳士」」(2000年夏)を附す。後年の版では岩波書店編集部「読者のみなさまへ」(2002年1月)が加わる。
1979年9月19日刊、2000年11月17日新装版。
ヒュー・ロフティング、井伏鱒二については『ドリトル先生アフリカゆき』評末尾を参照。

大平健 1949年生まれ。 ピッツバーグで育つ。東京大学医学部卒業。ペルーの貧民街で診療。聖路加病院勤務。1991年「ヒステリー性格の構造と発達史に関する精神病理学的研究」で新潟大学医学博士。著書に『診療室にきた赤ずきん 物語療法の世界』(新潮文庫)『やさしさの精神病理』(岩波新書)『顔をなくした女 〈わたし〉探しの精神病理』(岩波現代文庫)、共著に『文学校 精神科医の質問による文章読本』(岩波書店)など。

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