岩波少年文庫を全部読む。(35)戦争を物語る平和な本? クライヴ・ステイプルズ・ルイス『カスピアン王子のつのぶえ』
中世文学的黙説
『ライオンと魔女』の1年後(ナルニア時間では数世紀後)を物語るシリーズ第2巻。作者の意嚮に添って作中世界の時間順に再配列した光文社古典新訳文庫版では第4巻に相当します。
前作でペヴェンシー4兄妹はナルニアの統治者として長期間、そこに君臨します。ただしナルニア時間では長期間でも、もとの世界に戻るとさほどの時間が経っていない、逆リップ・ヴァン・ウィンクル、逆浦島的な関係になっています。
このあと作中時間でかなりの時間が経ったようですが、そのあいだのことは語られませんでした。また、一時は自分たちがどうやってナルニアに来たのかも忘れていたと書かれています。
こういう割り切れない記述は、アーサー王物語などの西洋中世文学を思わせます。作者の本業である中世文学研究の成果かもしれないな、と思います。
そういえば、本作から登場する鼠のリーピチープはまさしく騎士道を象徴するキャラクターでした。
スーザンの置き土産
さて本書では、寄宿学校に戻るために駅の待合室にいたペヴェンシー4兄妹が、いきなり強い力に摑まれて、見知らぬ森のなかに飛ばされます。少年少女が鉄道駅から異世界へという流れは、のちのジョアン・K・ローリング『ハリー・ポッターと賢者の石』(1997。松岡佑子訳、静山社《ハリー・ポッター文庫》)の先駆けでしょうか。
殺されかかっている小人をスーザンが矢で救うと、小人はカスピアン王子のもと教育係で学者。彼によれば王子は、叔父である王位簒奪者ミラースによって父王カスピアン9世を殺されたことも知らず育ち(ハムレット状況ですね)、ミラースに実子が誕生したことによって生命の危機を迎えました。
カスピアン王子はアスラン塚でのミラース軍との戦で窮地に陥り、救いを求める角笛を吹きました。この角笛はスーザンが置き忘れたもので、それで4兄妹はナルニアにふたたび召喚されたということなのです。
シリーズ中もっとも「地上的」な勧善懲悪
本書はこののち、前作にも登場しこの世界を密かに統べる神的存在であるアスランを巻きこむ形で展開し、ピーターたちを含むカスピアン軍とミラース軍との戦争に突入します。異世界を舞台とするファンタジー小説やファンタジー映画はしょっちゅう戦争ばかりやっている印象がありますが、本書はまさにその典型というか、原型かもしれないなあ。
《ナルニア国物語》はかなり「シンプルな勧善懲悪」なのですが、それが一見シンプルに見えないのは、アスランに代表される神的秩序の超越っぷりがきわめてキリスト教の原理に忠実だからだと考えられます。
あまりに筋を通しているために、僕ら日本人の感情移入を拒む部分がある。前作ならエドマンドのあつかい。あと最終巻の展開、とりわけスーザンのあつかいとかもうそうですね。
けれど本書は、正義も悪もきわめて地上的で(むろんその地上はあくまでナルニアの「地上」なのですが)、超越的なものを想像するための負荷がほとんど要りません。比較的気軽に読める平和な1冊(内容は戦争だけど、本としては平和)のように思えます。もちろんこれ、僕の宗教アンテナが弱いだけかもしれませんが……。
では次回、『朝びらき丸 東の海へ』でまたお目にかかりましょう。
Clive Staples Lewis, (1951)
ポーリン・ベインズ挿画。瀬田貞二訳。冒頭に「はじめて「ナルニア国ものがたり」を読むかたに」(『ライオンと魔女』「訳者あとがき」からの抜粋)、巻末に中村妙子「別世界へのあこがれ」(2000年春)を附す。
1985年10月8日刊、2000年6月16日新装版。
クライヴ・ステイプルズ・ルイス、ポーリン・ベインズ、瀬田貞二については『ライオンと魔女』評の末尾を参照。
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