Comme des Garçons
息抜き回顧録です。
コム デ ギャルソン。
青春時代を80年代に過ごした私にとって、
特に思い入れの深いブランドです。
コム デ ギャルソンは1961年に東京で始動し、1981年のパリデビューで、モード界に
一大旋風を巻き起こしました。
上から下まで黒のテクスチャーを使い、
海賊ルック、ボロルックなどと呼ばれる
革新的なデザインで知られていました。
デザイナー川久保玲は女性デザイナーで、
マスコミへの露出が低いことも特徴的だったように思います。
双璧と看做されていた山本耀二がメディアに
頻繁に露出するのに、私は自身が大ファンで着ているはずの川久保玲を雑誌のインタビューぐらいでしか知りませんでした。
私とコム デ ギャルソンの出会いは、学生時代に読んだ宝島社の雑誌の表紙でした。
その表紙には糸井重里と戸川純が写って
おり、二人とも変わった衣装を着ていま
した。戸川はファーの白いコートに身を
包んでおり「毛布みたいで眠くなっちゃうわ」と言っています。
私は戸川純のこれもまた大ファンでした
ので、このアヴァンギャルドな服は何だろうと思いました。
雑誌を良く見ると「衣装提供 コム デ
ギャルソン」と書いてあります。
雑誌には関連記事は載っていません。
私は必死にどこで求めることができる
のか調べました。しかし地方都市で
ファッションビル一つない時代背景も
あり、なかなか見つかりません。
当時はネット検索など夢物語です。
やっとのことで路地裏に小さな路面店を発見しました。すかさず飛び込みます。
どのアイテムを見ても、財布の中身を全部出しても足りません。
とても仕立ての良いジャケットがありましたが、泣く泣く諦め、パジャマを買いました。帰りの電車賃を引いて、ギリギリで買える額だったからです。
しかしタグにはコム デ ギャルソンではなくローブ ド シャンブルとしか書いてありません。
後で知りますが、これはリビングのラインで
ピローケースやシーツも販売していたのです。(勿論のちに一式揃えました。)
元々は婦人服ブランドだったのでしょう。
メンズの袋にはHomme Comme des Garçonsの文字が。これは推測ですが、
Comme des Garçons toricot(トリコ)が
発表された時点で、歩調を合わせて、
Comme des Garçons homme(オム)表記になったのだと思います。
それから店が一店オープンできるぐらいに
買いましたが、店員さんから色々教育(?)
を受けて、黒と墨黒の違い、二度染めして
いる生地、果ては綿ブロートの糸の番手
まで、セールストークの中で教えられ
ました。
私は大学卒業前、就職活動で大手アパレル
メーカーの内定をもらいましたが、
大学を留年したため、これも泣く泣く諦め
ました。
同時に内定をもらった親友は現在、某アパレルの管理職です。ちょっと羨ましくも残念でもあります。
彼は、当然ながら仕事中は自社製品しか着られませんので、お洒落に制約があって可哀想かなとも思っていましたが、以前マンションに遊びに行ったら、部屋中Comme des Garçons hommeの服だらけでした。