宗教についての私見~①~
所謂、「スピリチュアル」という概念は、
近年廃れつつあります。
本来の意味は違う筈ですが、「オカルト」と混同され、何か霊的な胡散臭いものになり
つつあります。
隣接領域である、宗教、これも最近は
「統一教会」がらみで非常に悪いイメージ
です。
私の家は、普通の仏教徒(曹洞宗)ですが、それは菩提寺の宗派がたまたまそうなだけで、信仰しているのは、真言宗です。
宗教について、思う所を書きますと、
仏教、キリスト教、イスラム教以外は、
見るものが少ない。
世に言う新興宗教などいわずもがな。
(他の宗派を貶める意味ではありません。
あしからず)
ラジカルなことを言うと、各宗教に
「中興の祖」なるものはいるかも
知れませんが、教祖の達した領域を
追体験した、という確証は、
何もありません。
仏教でいうと、マハーカッサパやアーナンダなどの高弟はいましたが、「結集」によりて師の教えが散逸しないようにしただけで、
ゴータマ・シッダールタこそが覚者で、
我々はその教えを守り伝える立場だという
ことを思っていたに違いありません。
もちろん高弟達も、後の宗派仏教を牽引してきた師達もある種の「悟り」に達していた
ことでしょう。それは否定しません。
しかし、ここに仏の真なる言葉の解釈の違いが生まれてきます。
「お経」も後世の人が書いたもので、語り手はゴータマ本人ではなく、諸仏のことが多いと思います。
「義疏」(注釈書)があること自体
おかしいのではないでしょうか。それは
もう学問の領域です。
お釈迦様も登場しますがそれは「釈迦如来」「釈迦牟尼仏」であって、ゴータマ本人では
ありません。
原始仏教における「如是我聞」、それにつきます。
宗派仏教を否定しながら、なぜ「真言宗」
なのか。
それは、誤解を恐れず言えば、真言宗は、
仏教のひとつであるけれど、本質はヨーガであるからです。
宗教家である、お大師さんと肉体に宿った私は、師匠に言わせると、気が合わないそう
です。(このことは別の記事でも書きます)
要するに真言宗はアデプトを目指すための
メソッドであり、システムなのです。
私の考えている通り、真言宗の本質がヨーガだとすれば、良いグル(導師)に恵まれなければ、修行などしない方がよいでしょう。
最初の話に戻りますが、スピリチュアルの
世界では、「瞑想」と言っていたものが、
今では宗教的臭いを消して「マインドフルネス」と言うそうです。