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頑は張らずに頑張り末世

私は宗派仏教には拘っていません。成る程、そんな考え方(境地)があるのか、と感心するばかりです。

従って仏陀の教えの解釈を巡って論争をすることなどありません。またそんな幅広い知識もありません。

ただし仏陀の教えを全く曲解しているもの、在りもしない「我」を喜ばせる道具にしている人は一定数います。それに関しては疑問を呈さざるを得ません。

在りもしない我を喜ばせている人、私自身もその一人に違いありません。何故ならこのような場所で自分の考えを表現しているからです。

仏陀の教えは受けるものです。素直に受け取るのです。解釈はしない。仏陀の教えは万人に分かりやすく出来ています。例え話や説話で、凡夫でも分かりやすいように工夫がなされています。

しかし、時代とともに使用している言語や文字が変わってしまうので難解になります。仏陀の教えはとてもシンプルです。今見るお経のような長文の漢字の羅列ではないはずです。(読んだ時に原文の波動が伝わるように音写になっています)これが末法の世というものでしょうか。

「不立文字」という言葉が示す通り、悟りは境地であり、体験です。

悟ってもいないのにこんなことをブログに書いていたのでは、只の自己満足です。そう、私は自分の脳に流れた電流を文字に起こすことで自己満足しているのです。

さて、現実社会に戻り、内観の機会をたくさん与えてもらって、またすぐにここに戻ることとします。

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