おとなしい人

どうも~千夏です。
今回はおとなしい人について書きます。(書きにくいのでここからはである体にしますね。)



おとなしい人、それは長年あこがれ続けた存在である。
よく、内向的であまり人前に出なかった人が人前に出る仕事についたり、リーダー的存在になったりという話は聞く。

しかし反対の話はあまり見聞きしない。

だからおとなしい人というのは生まれ持った素質なのではないかと思っている。

ないものねだりであることは重々承知なのだが、
毎日なぜかしゃべりたいことでいっぱいの自分にとってはうらやましい。
「『赤毛のアン』に学ぶ幸福(しあわせ)になる方法」という本で自分のことは控えめにだいたいのことはうちに秘めておくほうが良いのだと知った。
なんでも話しすぎるのは気品に欠けるのだ。


それを知ってからますます自分はおとなしくなれないか考えるようになった。
必死に出すぎてしまう自分をおさえて、どうにか自分を程よく出せないかということにこだわっていた。話しすぎる自分を知っているある友人はそんな自分を「猫を被ってる」と言ったけれど本当はそうではなかった。
演じられないから必死に抑えているだけなのだ。
出すぎてしまうかもしれない恐怖と戦った結果猫被り状態ができるという、それだけのことだった。

おとなしい人に会ってみると、「たくさん話せて、友達を増やせるのは羨ましい」と言われた。
やっぱり結局ないものねだりなのかもしれない。
でもだからといってやはりおとなしくない自分も悪くないじゃんとはならない。出すぎる自分を受け入れつつもやっぱり強くあこがれる。

あこがれとはそんな簡単に捨てきれないし割り切れるものではないのだ。


今回はこんなところで終わりにします。
それではまた~