「復活」という「休息」を。休むのが苦手なまじめちゃんとがんばりやさんに贈る、本質的な「休み方」。(つまりは自分のための戒め)
よく、「休む」ことを、「逃げる」 「後回しにする」という意味で使ってしまう。
「今日はたくさんの予定があったから疲れたなあ。よくがんばったから休もう。これは明日やろう。」
そうやって先延ばしにして、〆切になって焦ったり、それを引き起こした自分に自己嫌悪を感じたりする。ちょっと寝ようと思って寝たらものすごく時間がたっててがっかりしたりする。
休み方って難しい。すべきことをすべて終わらせて休むものだという考え方があるのだろうか。まあ、まじめだからなあ。(特に自分)
休みたいと思うのは、元気が出ないときや疲れたときだ。砂漠で喉が渇いたときに例えよう。そのとき、疲れたと言ってしゃがみこんだら、一層苦しくなってしまう。暑いし、のどは潤わないし、体力は減っていく。「逃げる、後回しにする」という意味での「休む」は、こうしたネガティブな休み方だと思う。
ここで、本質的な休み方とは、水を飲むことのはず。オアシスにいかないといけない。
その歩く過程は苦痛だろうか。水を想像しながら、ゴールに近づいているから、むしろ希望と喜びなんじゃないか。そして水を飲めたとき、もっと大きな喜びになり、休息になる。
本質的な休息とは、復活だと思う。
「疲れた、休みたい」と思うのは、考えで疲れているときが多い。
ただ自分に課している期待値が高いだけであったり
「こんなこと聞いていいのだろうか」「あの人忙しそうだ」というイメージで相談を躊躇してしまったり
「自分が」やらないといけないと背負い込んでいたり
目の前の機会や環境を、過去の自分がどれほど願って得たものなのか、初心を忘れていたり。
だから出かけたり美味しいものを食べたりするより、質の良い言葉で考えを転換するほうが効果があるのを感じる。
私が好きな言葉がある。
「順境の日には楽しめ、逆境の日には考えよ。」
逆境のとき、本当に求めているものは何か、本当に必要な行いは何か
考えて行うときに、案外するりと考えの疲労が飛んでいくことが多い。
力があるから行うのではない。行うから力と機会がやってくる。
どんな状況でもすべきことを行う人になりたい。