新婚旅行でたまたま入ったジャム屋で人生が変わった話
-ジャム屋物語②+自己紹介も少し-
2001年10月7日の京都で式を挙げた私たち夫婦は、翌日関空からフランスへ新婚旅行へ旅立った。
2001年と言えば、あの9.11があった年。私たちの結婚記念日は、奇しくもアメリカがアフガンに空爆した初日でもあった。
そのため、私たちが乗った飛行機はイラクの上空を迂回して、それまでより時間をかけてフランスへと向かった。きっと、その日からずっと何年もそうだったのだろう。
挙式、披露宴、長いフライトでヘトヘトになってフランスへ着いた私たちは、ホテルのベッドに倒れ込み深い眠りについた。
しかし!翌朝けっこうな早朝から電話で起こされた。時差ボケもあってフラフラしながら、ホテルがつないでくれた電話に出ると、
母からだった。
「あんた今どこにいんの?!」
若干キレ気味の母の声が海を越えて私の耳をこじ開けた。朝っぱらから。初めて迎えるおフランスの空の下で。
「いや・・・フランスだけど」おずおずと答える私に、
「なんですぐ電話しないの!」と罵る母。これで、、、会話かみ合ってるのか?!
「おばあちゃんが心配して何度も私に電話してきたんよ!あの子たちはアメリカが戦争始めたのに新婚旅行行ったんやろか、どうなんやろうかって!」
いやいや、行ったよねそりゃ。あんたたち「行ってらっしゃい」言うて、京都駅で手ぇ振ってくれたよね??まあ、空爆のニュース聞いたのはその後だったけれどもさ・・・。
「あのー、とにかくもう無事フランスにいるので、重々気を付けますっておばあちゃんにも言うといて」
と伝えて、まだ何かしらぎゃあぎゃあ言っている母に、じゃあねえ~と言って受話器を置いた。これが私のハネムーン初日の朝。
さて、前置きが長くなりましたが昨日の続きを書きます。
昨日の記事はこちら↓
件のアクセサリーショップで友人と自分のために1つずつネックレスを急いで選んで買った私は、夫を待たせている隣の食料品店へと急いだ。本当はもっとゆっくり見たかったけど!そして、一緒に選んでほしかったけど!!
それでもまあ、可愛いネックレスをゲットして機嫌よくなった私は、隣の店に入り夫の姿を見つけ「お待たせ~」と声をかけた。しかし夫はチラっと私の方を一瞬見ただけ。「うん」くらいは言ったかもしれないが、手に取っていた商品に再び視線を戻した。
私も店内をぐるりと見まわしてみると、そこはジャムの専門店のようだった。よく見ると、野菜の瓶詰、ピクルスのようなものもあった。
へー、思ってたよりお洒落なお店だったんだなあ。ジャムの瓶もかわいいなぁ~。
そう思って私も色々見て回った。壁一面の陳列棚に、いろんな保存食と思われる瓶詰が所狭しと並んでいた。それはもう本当に壁一面いっぱいに。蓋には赤いチェックの布が被されていた。フランスっぽい。(知らんけど)
すごい数と種類だなあと思いながら、いくつかジャムを手に取ってみた。裏側の食品表示を見ても、フランス語だから何と書いてるかはハッキリ分からない。だけど、フルーツだけじゃなく、スパイスらしきものや、お酒、チョコなんかも入っているものもあった。
一通り見て満足した私は「そろそろ出よっか。何か買う?」と夫に声をかけた。すると夫は
「もう少し待って」と言った。
んんんん????なんですって?!
さっきアンタ私には、愛する妻には、
「急いで買ってこい」とおっしゃいませんでしたっけね?
しかも既にお主、小一時間はここにおるではないか??なのになぜに?!
小言のひとつでも言ってやろうかと思ったが、あまりにも夫が真剣にジャムを物色しているので、私は結局何も言わずにひたすら待ち続けた・・・。
不貞腐れながら仕方なく待っていた私だが、読めないくせに表示ラベルをまじまじと見ている夫が可笑しくもあり、その姿を思わず写真におさめた。それが、冒頭の写真だ。
この時はまだ、ど素人が撮ったこのスナップ写真が、後にありとあらゆるメディアで使用されることになろうとは、夢にも思わなかった。
そしてなんと。
もちろん彼はジャムを購入したのだけど、
その数ザっと20本。
20本!!ジャムを!!!パリで!!!
重っ!!正気か?!てかそれいくらしたんだよ!!
それならワタシに指輪の一つでも買ってくれてよくないかそれ。
呆れる私にお構いなく、店の隅っこでキャリーケースを開けてせっせとジャムを入れ始めた。キャリー持っててよかったなおい。
どっから突っ込めばいいのか分からず茫然と見つめながら、
「それ、どうするつもりなん」というのがやっとだった。
「お土産にしようと思って!」と嬉しそうに彼は言った。
「こんなにいろんな種類のジャム、初めて見たよね!すごかったね!ただの苺ジャム、とかだけじゃなくて色んな果物ミックスしてあったり、洋酒が入ってたりして、どれも美味しそう!」
・・・興奮しておる。
「けどフランス語読めないよね?」意地悪く言ってみた。
「そう!だから持って帰って辞書で調べようと思って!」
・・・ですか。そうですか。2001年にはまだスマホもGoogle翻訳もなかったからね。
そもそもですが。
そろそろいい加減に、
私もちょっと言わせてもらってよろしいですかね?
「私に何か言うことないですかねアナタ」
20年以上も前の出来事なのにハッキリと覚えているのは、よほど私もイラついていたのだろう。
「・・・え?何?」
ぽかんと呑気な顔で私を見つめて彼は言った。
・・・結婚、とは。。。
と、途方に暮れそうになったが、ここで諦めたらダメだ!いつもの事なかれ主義ではいけない。夫婦なのだから!最初が肝心だ!そして私は口火を切った。
「・・・私にサッサとアクセサリー買ってこい、俺は一緒には入らない、隣の店で待ってる。アナタそうおっしゃいましたけど、私は15分で済ませたのに、アナタは1時間以上待たせたことについて、何か言うことはございませんかね?」
やっと「ヤバい!」と気づいた彼は(なぜ今まで気づかないのか不思議すぎるが)一応「ごめん!」と謝った。もう少し何か色々言葉を重ねて私の機嫌を取ろうとしてくれた気はするが、そこはよく思い出せない。
なぜならその後、夫はこう言ったから。
「俺、ジャム屋になろうかな」
この日二度目の
・・・結婚、とは。。。
と、言葉を失う私がパリの片隅にいた。27歳、秋のこと。
あの日から、22年の月日がたとうとしている。
私は、そんな夫と今も夫婦である。
そして、そんな夫と本当にジャム屋を起業して、今年で20年になる。
ジャム屋の記録を書いてほしいと夫に言われ続けて十数年。
私は今年、難病を患っていたことが発覚した。
いい加減、そろそろ書かなくては!と、ようやく思えるようになった。
だけど書くのって本当大変な作業だし、私は実は僧侶もしているのだが、ホントにリアル三日坊主だ(笑えない)。
今まで何度もトライしては書けなかった。
けれど、今度こそは!と思っている。(今のところ)
今までは読者でしかなかったnoteだけど、
noteなら、もしかしたら書けるかもしれない。
ほんの数行しか書けない日もあるかもしれないけど、
少しずつなら、なんとかなるかな?!
そう思って、書き始めました。
私のこの挑戦が結実できますように。
病気の進行より、ズボラ坊主の執筆のが早いことを願って!
もしよかったら、私のやる気がどうにか続く励みになると思って読んでいただけると、泣いて喜びます。