大きな挑戦の絵に湧いてきた言葉と形
こんにちは。チルワカです。
先日やっっっと!80cmの大きな絵が完成しました!涙
もぉ私の全身全霊込めました!と言いたい。
完成してくれて嬉し涙溢れそうな、この作品への想いやエピソードを紹介したいと思います。
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いつもオーダーで頂く絵のサイズは可愛い小さめが多く、この大きさの絵を描いた事がありませんでした。
なので、このキャンバスを目の前に。
「絶対失敗したくない!」と言う思いから、作品作りに二の足を踏んでいたんです。このキャンバスを買ってから2年も。笑
ですが!
3月に娘を出産し、さてそろそろ少しづつ動けるかも、、。と産後1ヶ月。
ズタボロの身体を引きずりながら、
おもむろに筆を取り、描きたくなったのです。
当初は「産まれてくる前に!自由がきくうちに描いてしまわねば!」とザザッと描いた下絵と背景塗り。そして、結局そのまま出産まで放置。
この時点では、本当ふわ〜っとしか構想は無くて
自分でも「どんな絵に仕上がるかなぁ?」な他人事なのです。
なぜ虎を描きたかったのか?
昔から猫科の猛獣系が好きで、その中でもあの虎のドシッとして猛獣感がハンパないのに、ゴロニャーンと見せる仕草や口元、前足のバフっとした大きな手。
いつか、いつか虎の首元をグワッとハグしてぎゅーっとしたい!
そんな夢があるのでした。(ジャスミンやアラブの猛獣をペットにする富豪に憧れるのであった)
きっと、そんな私の虎愛が爆発して
モギュッとしたくなる愛おしいトラを描きたいし、極才色を使いこなして、見てくれた人にワ〜っと明るいハッピーな気分になってもらえる様な、絵を描きたい!
なんて想いから書き出すのでした。
ですが、実際キャンバスを目の前に
「さてさて。」と筆を取ったものの、
この先どんなトラを描きたいのか、どんな植物があるのか。
私の中では完成の20%ほどしか見えておらず、
霧の中を手探りで彷徨う事になるのでした。
おまけに、出産後の身体のトラブルで毎日気持ちはピリピリ、初めての子育てに痛みと寝不足と闘いながら絵に向き合う事は容易い事では無く、
椅子に座っては子供が泣き始め
いざ集中し始めると、オッパイは痛くなり。
と、今まで1人で集中出来る時間が出来ていたのとは180℃変わって、そもそもの自分の精神力との闘いになってしまったのです。泣
ストレスや焦り、苛立ちいろんな感情に邪魔されて、しっかり正面から絵と向き合う事が出来ず、迷いながら描く絵は当然ボツ。
1回2回3回、トラを塗り直しては消して描き直し
描き出してから1ヶ月。
ついに、
「あー、、、もぉこれ頭がグッチャグチャになり過ぎてるから、一回サラにして描き直したい!!」と
7回目に描き直したトラを目の前にして、心の中では、目の下隈。頭ボサボサ。
みたいな姿の私。
思い切って、真っ白なジェッソ絵の具をペンキローラーで塗りつけて、全部消す事になるのでした。
それから、もう一度気持ちと気合いを入れ直し、
深呼吸して、しっかり自分と向き合い「どんなトラにしたいのか、どんな絵を描きたいのか」
少しづつ、、それでも描き直しながら本当に少しづつですが、毎日数時間この絵と向き合いながら描き始めました。
私がこの絵で一番大きくぶち当たった壁があります。
それは
絵の具の塗り方。
いつもベタ塗りでパキッとした絵を小さなキャンバスに描く事が多かった私。
実際いつもの様に描き始めてみると、キャンバスの大きさの余白に負けて、画面がのっぺりとしてしまうのだ。
大きい絵の書いてきてこなかった私にとって、大きな発見と戸惑いでした。
「そうか、だから大きな絵を描く人は筆跡を大胆に付けたり、近くで見ると陰影だけだけど、遠目に見るとしっかり浮き出て見えたりするのか。」
と新たな発見。
この見る人を飽きさせない、動きのある塗り方を自分なりに習得するのに、7回も8回もかかったのかと思います。
そして私的に描き方に大きな変化が。
今まで黒縁線を描くスタイルで長年描いてきました。
「この線を描くために他を描いている」と言っても過言ではない程、この画面がバチっと締まっていく瞬間が大好きなんです。
そして「今回も。」と何度か線を描いたものの、
一度「私のスタイルはこれ」の概念を外して新しい描き方に挑戦してみることにしました。
バチっと締まった絵と言うよりも、いつもより優しい絵に仕上げたんです。
そして周りの植物は、「こんなのを書こう」から、全体の色のバランスを目を凝らして、色を加える。
多色を使う私にとって、一つ一つの色選びと配置のバランスにはほんとーに、感覚と神経を鋭くさせる瞬間なのです。
当然描いてみたものの、次の日には気に食わずに塗り直すなんて事も多々。
そして、私のアイデンティティにもなりつつある細かな柄の描き込み。
「もぉいい感じ。出来たかな?」の自分の感覚から
「もう少し!もう少し描いて!もぉちょっと行けるでしょ!」
とプッシュしてくる自分とのせめぎ合いを重ねて、細かな柄を描き込むのでした。
ここでプッシュしてくれる自分がいないと、多分この柄は出てこないのです。
そうして、完成したのは絵を描き始めてから2ヶ月半後。
ようやく自分の「よし!」の声が聞こえて完成したのでしたー!!泣
うれっしーーー!!!!
の気持ちと共に、
はてタイトルは何にしよう。なんて後付けで考えた時に
スルッと出てきたタイトルが
"Paradise in your heart"
何事?
そのパラダイスって?
と自分で描いたくせに。笑
描き終わってから日が経つに連れて、完成した喜びから冷静になった自分の心によーく、よーーーくそのタイトルが出てきた経緯を深掘りしてみたのです。
この「パラダイスは心の中にあるよ」の経由を掘り下げていくのでした。
なぜパラダイスなんて普段使わない言葉が出てきたのか。ある一つのエピソードが出来てきたのです。
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それは、2028、2019年。
オーストラリアから帰ってきた私たちは夫婦(その時はまだ結婚してなかったけど)
日本全国47都道府県全部回って見るという、車中泊の旅をしていたのだ。
当時2、3ヶ月で終わると思っていた旅は、結局18ヶ月にも渡る長い旅となりました。
この旅の最後の行き先は沖縄。
沖縄では、3週間ほど過ごしていたのですが、
本当に旅の最終。もう飛行機に乗って関東に帰る数日前。
なんの縁なのか、友達の誘いでトントン拍子で決まった行き先はなんと仙人が住む家と、「神が住む島」と呼ばれている島だったのです。
仙人とは、本当に自給自足での生活。
食べるものがなければ、家の近くの荒れ地を掘って芋を探す。
当然、冷蔵庫もない。風呂は外で釜風呂。トイレのティッシュはバケツで燃やす。
体調が悪ければ、庭で育てたハーブに頼る。
仙人が住む家は「一度は行って見たい!」と憧れていた360度開けっ放しの縁側があるような、The沖縄の古民家。
だだっ広い家の中には、本ー当に必要最低限の布と、サーフボード。ほんの少しの食器と囲炉裏。
唯一ある電化製品は小さな電球のみ。
物々交換で食材を手に入れたり、自分たちで作ったお茶を家の前に作った無人販売のボックスで販売。
18ヶ月間全国回ってきて、何百人と数えきれない人たちと出会っては、それぞれの住み心地のいい場所を築いて過ごしているみんなを見てきたけれど。
なんの因果なのか?
最後は
「物がない」という場所に辿り着いた。
「本当に自分たちはどんな風に生きていきたいのか?」
と本質的な事を問いかけられ、気付かされるような旅の締めくくり。
必要最低限の物の中で、みんなで囲炉裏を囲んで過ごした時間は
「これが本当に幸せって事なのかもなぁ。」と
しみじみと感じた瞬間でした。
そして、旅の最後に進んだ神の住む島へ。
そんな風に呼ばれている事を知らずして、
橋を渡って島に入った瞬間、まるでハッカの香りを鼻先で嗅いだ時のスーーッと鼻通りがよくなるような、そんな空気の変化を感じたのを今でも忘れられないです。
旅の最後の夜は、薪を自分たちで集めて、キャンプファイヤー。
メラメラ燃える炎を見ながら、仙人が今までしてきた世界での旅の話を聞いていました。
「物がない生活がしたい。」と真剣に思い立って、何もない山奥の寺に籠る。
そんな生活をした方。
聞いたところによると、一緒に付いて行った彼女は何もない、人もいない、そんな生活に頭がおかしくなって山から逃げてきたとか。笑
ゆっくり旅の話をしながら、
「なんでそんな生活したいんですか?どんな気持ちなんですか?何をして過ごすんですか?」
なんて聞きたい事いっぱいの私の隣で、
「まぁ、パラダイスはどこにいても自分の中にあるからね。。。」
とポツリと呟いたのでした。
それが全てな気がして、スコーーーンと腑に落ちた瞬間なのです。
どこにいても、
自分が心地いい場所、幸せな瞬間、どうありたいか、どう生きたいか。
この人はちゃんと自分の中にあって、すべては自分で選択しているという責任をちゃんと持っているのだ。
そんな言葉を呟いた仙人の声と、燃える炎、あの瞬間を今でも鮮明に覚えているのでした。
そう、この
「まぁ、パラダイスはどこにいても自分の中にあるからね。。。」
から出てきたタイトルだったのだ。
普段思い出すこともないけれど、
私の心の中に確かにずっとあった言葉がここで出てきたんです。
産後、私の気持ちは少しだけ変わった。
これが人を産んだパワーと言うものなんでしょうか。
普段は出てこないけど、確かにいる自分が好きじゃない自分の人格。
ウンザリしたり、自信のない自分がふと出てきたり、そんな好きじゃない!と思って見えない様に隠していたくなる部分を
「まぁ!なんでも良いじゃないか!」
と、一皮剥けて自分自身にも寛大になれた様な気がするのです。
だって、産まれたばかりで泣いても漏らしても何しても笑って許してあげられる存在がいるんだもの。
自分自身を許して受け入れてあげれたことで、
縮こまってた部分の自分が、やっと背伸びをして外に出てきた様。そんな心の変化が私の中にありました。
そんな変化を感じるこの頃に
きっと「これが私なんです!」って声を大にして言える様になった。
この絵は、私自信のパラダイスという名の心の中の居場所。なんだなぁ
と、やっと絵の意味を解釈する事が出来ました。
誰も知らない、誰も入れないジャングルの奥地の奥地。秘境に、見た事ないカラフルな植物がたっくさん生きている。
暖かい日光も当たって、水もあって、鳥の囀りが聞こえてくるだけの、静かで穏やかな場所に
普段は勇ましくて強そうな虎が、
何にも警戒せず、誰にも邪魔されない心からリラックスした笑顔の瞬間。
虎の顔をカッコよく描くのか、可愛く描くのか、
散々迷いましたが私が選んだのはやっぱり笑顔でした。
自分自身をさらけ出すのも恥ずかしい気持ちもありますが、
(きっとこんな事今までだったら言えてなかったかな。)
オープンな気持ちになった今だからこそ描けた絵なんだろうなぁ。と思います。
「見た人が少しでもハッピーになりますように。」
作品作りの根元にもある、私の中心部にあるのはこの絵の様なのかもしれません。
人には見えないけれど、みんながハッピーの為に大事にしてる事。
お互いが知れたら、もっと優しくなれるのかもしれないですね。
と、そんな訳で私の大きな絵への衝動と挑戦は幕を閉じました。
このトラちゃんの様な笑顔。いつも忘れずに心の中に住まわせてあげたいと思います。
皆さんの心の中にあるパラダイスな部分なんですか?
長い長い投稿、読んでくれてありがとうございました!
では、またー!