青春日記。
あの頃に描いてた 夢や希望はもうないさ
僕らの青春は 日々変わっているから
(青春日記/リュックと添い寝ごはん)
「夢を語るのは恥ずかしいことだ」と植え込まれてから、理想論をごちゃごちゃ喋ったことはなかったし、そんなものを抱えていることすら悪だと思っていた。
叶えられるだけの努力を重ねていないと、夢なんて語っちゃいけない。
そんな大前提があって、身を削る努力を積んできたことがない私には夢がどうこう言う権利はなかった。考えないようにしてきたからなのか、内に秘めるものがぼやけて見えづらくなっていた。目標も数年後の自分の姿も浮かんでこなかった。
若々しいフレッシュな顔ぶれの言葉がリズムに乗って流れてきた。
あの頃に描いてた 夢や希望はもうないさ
あれだけ忌むべきものとして遠ざけてきたものは、ただ自分が目を背けてきただけだったのではないかと思うぐらいにたくさん存在していた。
ポップに歌詞に乗せながら、堅苦しくならないように軽く風のように流れていったり、もう叶えてしまったと素直に語ってくれたりする。
曲の雰囲気と相まって、なんだか聴いていられる。それでいて鬱陶しいと思うこともあまりないし、楽器の音に耳を澄ませば楽しくなってくる。
今考えたところで、青春らしい青春を意識して過ごしていたのか。それとも、どうにかして限りある若さを思う存分に使い切りたいと考えていたのかどうかはよく覚えていない。自分の中で意識した瞬間があるかないかの議論なんて広げようもないしくだらないので省略する。
どちらにしても周囲に言ったりはしていない。斜に構えてネガティブな一面にどうにかひっくり返そうと頭を働かせていた時期に光が差すわけもなかった。
捻くれていたことは言うまでもない。純粋に何かに没頭して夢中になって楽しむ、真っ直ぐに取り組むことをダサいと水を差すことしかしてこなかった。自分は大したこともないやつなのに。努力らしい努力をしたことないことを棚に上げて。
数年前の燻った自分に対する後悔はもう十分にしてきた。棒に振ってきた時間はもう取り戻せない。
戻りたい過去にはできなかった分、作っていきたい未来の想像は具体的にピントが合う。クリティカル思考も程々にして、頭の中を散々篩にかけて整理整頓を目指してきた。
世間一般の青春には辿り着けずに終わった。遅れてしまったその分だけ、自分なりの目標に焦点を定めてみたい。
明文化できるほど立派なものではないから、ここでは掲げないが、スケールのでかいものから小さい野望まで、手書きで残しておいて、私色に染まった青春の日記を書いてみたくなった。
日々変わっていくものに、「青春」と名前をつけてみたくなった。これも小さな野望の一つ。夢を叶えたくなったところで、次の目標にピントを合わせてみようと思う。