自分のために生きないことが自分のためになるのかも
自分のことを考えるのって大変だ
なんのために生きてるのかとか
ほんとはなにがしたいんだとか
自分自身の目標はとか
答えの出ない問いばっかりで苦しくなる
もちろん大事なことだけどね
自分のために生きるのも大事、自分のことを考えるのも大事
でもそんなことばっかり考えてると、反対に自分の嫌なところもたくさん見えてきちゃうから
それならちょっとくらい、いや半分でもいい
誰かのためにがんばったほうが楽になるのかも
誰かのためのようで、自分のためになるのかも
例えば恋人、例えば友達、例えば子供
母親を見ていると、「もっと自分のために生きてもいいのに」と思うくらい私と兄に尽くしてくれる
それでも実家に帰るたびに「いま死んでも後悔しない」と言う
なんで?私たちのために色々なことを犠牲にして、自分のことはいつも二の次のような人生だったのに
そんなの今ではあまりにも幼稚な疑問だと思う
自分じゃなくて誰かのためになんて奉仕の皮を被った幸せなエゴの形なのかもしれない
それは人じゃなくてももちろん良くて、ペットとか宝物とか大切なものならきっとなんでもいいんだな
自分の外側に向かう大切なものへの視線を意識しよう
内側なんて勝手に時折見えてきてしまうくらいでちょうどいい
私は大切なものが多いようで少ない
だから、まだ何の為に何をすればいいのか分かってないけど
見つかったら、それを大事にする為にきっと今よりずっとがんばれると思う
それが自分自身から目を逸らす手段に過ぎないとしても、美しいエゴだと信じたい
今はそう思います