なんで字をきれいに書かないといけないの?
お習字教室に来ている子どもたちがよく言う言葉。低学年より高学年の子たちの方が、よく言ってる気がします。
私も即答出来ず、うーん、そうやなぁ、なんでかなぁ、としばし考えてから、「読む人が読みやすいように、自分が後で見てわかりやすいように」
と答えたら、
「自分が書いたんやから、自分でわかればいいやん」
と納得出来てないと思われる反発が返ってきました。
以下はそういった子どもたちとのやりとりの中で、私が考えたことをまとめたものです。
毛筆やペンで書いた文字の芸術性はさておき、子どもも大人も、手書き文字はコミュニケーションの手段です。もちろん、手書きでなくてもメールやLINEの活字でも、人から人へ、情報や気持ちをつなぐ役割があります。
誰かが読む、という前提で文字を書いている(活字を変換して入力している)ことになります。
小学生だと主に書いているものは学校のノートで、先生に見せる、親に見せる、という意識はあまりないのかもしれません。テストのプリントでも自分しか見てないと思っているかも?
読む人にしっかり伝わるように(間違い、誤解がないように)、読みやすいように、丁寧にきれいに書くことが大事なのだと思います。相手に対する思いやりの心というか、心配りというか、それが文字から感じられるので、きれいに書きなさいと言われるのだと思います。
手紙を書いたり、LINEを送ったり、コメントをつけたりする時に、文字だけのやりとりは一方通行になりやすく、送る人と受け取る人で解釈が違ったり、思わぬところで人を傷つけたりすることがあります。なので、送信する前に読み返して確認してね、というのはネット時代のマナーですが、これも思いやりとか心配りの問題で、発信する人、書いている人が、どこまで読む人のことを想像出来ているかが現れるのではないかと思います。
では読む人が自分しかいない場合はどうでしょう?日記だとか、メモなどは他人に見せる前提で書きませんね。
先ほどのお子さんの「自分がわかればいい」というのは間違ってなくて、誰かが読むからその人のためにきれいに書く、自分だけしか読まないものは、自分がわかるようにさえ書けばいい。それでいいと私は思います。未来の自分が読めるくらいの丁寧さは必要ですが。
お子さんの連絡帳の字がひどい、と悩んでおられるお母さんが多いのですが、展覧会の清書するからきれいに書いて!というと、きちんと書けるのであれば、それはそれでいいのかなと思います。字もシチュエーションによって使い分けが出来ることは大事だと思います。
文字の芸術性、美しい文字への憧れ、ただただ「書く」ことの精神性、まだいろいろ書きたいことはあるのですが、別の機会にします。
話があちこちいってしまいましたが、私なりの結論として、
「なんで字をきれいに書かないといけないの?」
→字を書くことは人とのコミュニケーションだから。きれいに書くことは相手への思いやり。
チコちゃん風に締めました。