居場所はここにあるよ
愛用のパソコンが不調になり5回に1回動いてくれるかなくらいで
今後買い替えを検討することになりました。ちくわです
不便だし、真っ暗の場所で穴の開いた床を歩いているような感覚になる
パソコンが体の一部みたいになっていて
インターネットが現実と地続きのインフラになった事を改めて思い知ります
前回の記事で話していたことですが
ひと昔前、少なくとも私の知ってるインターネットは、
現実に居場所がない人の救いの場だった
一億総監視社会、村社会化し、現実世界との融合が加速して
すっかり変わり果てたインターネットにもう私の居場所はない
生まれた時からインターネットがあった人、
FacebookやSNSから始めた人にはイメージしづらいかもしれないし
まったく私と別の価値観で使っているかもしれない
ネットの人格、リアルの人格を使い分けて
私にとってはインターネット世界では「別の自分」として
虚構さと偶像性が当たり前だったので
居場所がないのにふわふわ雲みたいに漂ってるだけです
私はアーティストとして活動している
今は作品だけ投稿しても誰にも知ってもらえず活動は継続できない
アルゴリズムを把握しあらゆる技術を身に着け
楽しんでもらえるように努力と進化が必要
自分を切り売りする日々にも慣れた
体験を共有するのが当たり前のインターネット
せめてこの目で見たもの 誰かに役に立つことを伝えたい
氾濫する情報の濁流に飲まれないように
ゾンビに襲われないように気をつける
悲しいニュースをみて
心がボロボロに、無気力になるから
画面の中の猫だけを見つめる
気の合う優しい人たちと平和に過ごしたり
自分でゾーニングすればいい
結局どんな場所にいても 環境の変化のせいにしないで
自分で自分の心を整えることが何よりも大切だった
永遠に存在する場所はない
インターネットだってリアルだって
いつか変わっていく、突然人がいなくなる
そもそも「居場所」って考えるから
違和感が生まれる
今までの私は自分にとって「居心地のいい居場所」を見つけようとしていた
これからの私はどんな場所でも「居心地よく」
感じられるように、自分の内面に目を向けたい
頭で分かっていても難しいから 少しずつ
「いつか変わってしまう人」「いつか消える場所」
に目を向けるのではなく、今を楽しむ
今あるこの瞬間、今居る人を大切にすることしかできない
場所や時間や存在の有無にこだわることも人に認知される必要もない
どんな状況でも、自分で自分の居心地を整えたい
空気、水、太陽の光のある場所
おいしいラーメン店、雰囲気のいいカフェ、楽しかった記憶、
ふかふかの毛布の中、草の上、空想の世界
心地のいい場所はどこだっていいし
楽しい時間を過ごせる場所は、いくつあってもいい
自分の存在は居場所のひとつであり、私は居場所でもある
どこにだって行けるし 居場所はここにある