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イイキモチデスネ
会社帰り、傘を差していつもの銭湯に向かった。こんな雨の日は人は少ないだろうと思ったら、銭湯は変わりなく混んでいた。寒さから逃げるようにして銭湯に来る人が多いのかもしれない。僕もそのひとりだ。
脱衣所でコートやらセーターやらあるゆる衣服を脱いで、ロッカーに押し込む。冬の銭湯は荷物が増えて大変だ。リュックもあるからロッカーはパンパンになった。僕は無理やり鍵を閉めて、裸のまま小走りで大浴場に向かった。
空いてる椅子に座って、シャワーを流す。まずは頭から洗い始めて、顔、体と続けて洗う。僕は洗顔の泡を付けたまま、体まで洗うから全身泡だらけになった。鏡に映る自分を見て「泡星人だな」と思ってふふっと笑う。
体を綺麗に流してお風呂に入ろうと思ったが、その日はお風呂が混んでいた。一番好きな炭酸風呂も混んでいて、僕が来る時からいたジイさんたちがずっーと占領している。仕方がないので、そのままサウナ室に入った。
サウナ室も混んでいた。一番上の段まで上がって、腰を下す。既にガタイの大きいブラジル系とヨーロッパ系の外国人2人組が座っていた。日本人なら人が来たら横にちょっと詰めそうなもんだが、外国人2人組は大股を開いて、ドッシリと座っている。「郷に入っては郷に従えよ!」と僕は思ったが、言うことは出来ないから身を細くするしかない。
サウナでは考えごとをしていた。というか、サウナは考えごとをするために行くような節が僕にはある。今月はずっと気持ちが沈んでいた。会社の人間関係、将来のこと、僕の不安の種は尽きなくて気持ちがどんどん沈んでいく。いつもならサウナに入って少し心が落ち着くのだが、その日はサウナに入っても駄目だった。
「まだサウナに入れるメンタルではなかった」
僕は熱さに耐えながらそう思った。横の外国人からは「フゥー」とか「ハァー」とかとにかくでかい深呼吸が耳に入ってくる。うるせえな。心が荒んでいるから、鬱陶しく思ってしまう。
しまいには英語で何か談笑をし始めた。横から「ファッキン○○、ファッキン○○」とよく聞こえてくるから何の話をしているか気になった。日本でも「クソかっこいい」みたいことを言うからそういうニュアンスだろうか。いや、そんなのはどうでもいいよ。うるせえーよ。
外国人たちは少ししてサウナ室を出ていった。僕は外国人がいなくなって、やっと少し足を広げられた。僕も後1分ほどしたら出よう。もう顔や体の毛穴から汗が滝のようにダラダラと流れていた。12分時計の秒針がてっぺんを指して僕はサウナ室を出た。次は水風呂に入る。
水風呂には先に出た外国人2人組が足を伸ばし緩みきった表情で全身浸かっていた。僕は風呂桶で体を流して、外国人2人組の間に向き合うようにして座った。やっぱり僕が来ても、外国人たちは少しも詰めようとしない。「郷に入っては郷に従えよ!」とまたも腹を立てながら、僕は小学生のように体育座りをした。外国人たちはそんな僕を気にすることもなく、英語での談笑を続けている。向き合って座っているから、ふと外国人の男ひとりと目が合った。
男は何か英語でニコニコしながら話しかけてきた。「何言ってるか分からねえよ」と荒んでいる僕は思ったが、真剣に言葉を絞り出そうとしていたので、僕もちゃんと聞くことにした。何だ、この外国人は何を伝えたいんだ。すると、外国人の口から聞き馴染みのある言葉が聞こえてきた。
「イイキモチデスネ」
外国人はハニカミながらそう言った。イイキモチデスネ。この外国人は本当にお風呂が好きなんだろうなと思った。この言葉はお風呂に入ってる時しか使わない。お風呂が気持ちいいなと思ったから、その感情に当てはまる日本語を探して使っているのだ。僕も笑って「イイキモチデスネ」と返した。
口に出すと、本当にいい気持ちになったような気がした。相変わらず僕は肩身狭く体育座りをして、お前たちはドッシリと浸かっているけれど、もうこの際どうでもいいよ。同じお風呂に浸かって、イイキモチを共有出来たんだから。
僕は外国人より先に水風呂を出た。ととのいスペースの椅子に座る。浴場全体が湯気で白くモヤがかかっていた。夢の中の世界みたい。目を閉じた。大きく深呼吸をする。あの外国人たちのように誰のことも気にせずに大きく息を吐いた。
何とかなるような気がした。これまでの人生辛いことがあっても、それなりに乗り越えてきた。だからこの先もきっと大丈夫。
目を開けると、外国人二人組も座っていた。気持ち良さそうな顔で目を瞑っている。足は相変わらず大きく開いて、力士のようだ。僕もマネしてちょっとだけ足を広げて深く座ってみた。夜風が頬に当たる。イイキモチデスネ。
いよいよ明日が文学フリマです。明日のために気合を入れて髪を切りに行きましたが、切られすぎてしまいました。大事にしていた襟足が存在感少なめです。いつも自分はこうなるな…。エッセイ集「襟足と自信を伸ばして」はいい形になったので、是非足を運んで頂けたら嬉しいです!当日お会い出来る方、楽しみにしています!