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楽しいことだけ見ていようぜ
正月休みにハシ君に会った。去年はあまり会えていなかった。ハシ君は美容師をしてるから、土日休みの僕とは日程を合わせづらいのだ。
せっかくだから僕は初詣に一緒に行きたかったけど、ハシ君は「興味ない」と一蹴し、「じゃあ初売り行く?」と聞いても「買うものがない」と言うので、結局銭湯に行くことになった。
最近ハシ君と会う時は銭湯に行くことが多い。読売ランドに新しく出来た花景の湯に行くことになった。評判が良くて、前から行ってみたい場所であった。
小田急線の読売ランド前駅で下車する。読売ランド前と言っても、ここから三十分くらい歩くことになる。どこが読売ランド前やねんといつも思う。ハシ君はバスで行くと思っていたらしく、僕が「歩いていこう」と提案したら、不服そうであった。
「話してたらすぐ着くよ」
「バスの中でも銭湯でも話せるだろ」
「歩いていくのがいいんだよ」
渋々、ハシ君は歩いてくれた。文句を言いながらも歩いてくれる。読売ランド前は僕にとって思い出深い駅だった。高校生の時に少し付き合っていた彼女の最寄り駅がここだった。降りたのは久しぶりだったが街並みは何も変わっていなかった。彼女がバイトしていたスーパーも残っている。なぜか心が少しそわそわした。とっくに昔のことで引きずっているわけでもないけれど、今もまだあの子はこの町に住んでいるだろうか。もういないような気がした。それをハシ君に話すと、「知らねぇーよ」と一言。
相変わらずハシ君は人の話に興味がない人間だ。普通の友達ならもっと恋愛の話は盛り上がるはずなんだけど、ハシ君とは一度も盛り上がったことがない。僕が矯正器具を付けていることにも、一向に触れてこない。歯に輪ゴムが付いてる人間は珍しいだろ、気にならないのかよ。
「前に会った時も付けてなかったけ?ちくわって矯正してそうじゃん」
「どういう意味だよそれ」
そんなどうでもいい話をしながら、坂道を上る。高校生の頃はよく読売ランドに遊びに行っていたからこの坂道は余裕だったけれど、久しぶりに来ると足腰に来る。二人とも息を切らして、こんなに遠かったけ?と顔を見合わせる。でも、運動して汗をかいた後の方が銭湯もより気持ちいいだろう。ほら、読売ランドの観覧車も見えてきた。
銭湯に着くと、沢山の人で賑わっていた。入場規制がかかって、入るまで三十分以上待った。正月休みにゆっくりしたいと、皆考えることは同じなのだ。脱衣所で裸になって、開放的な気分で扉を開く。お風呂は広いからそこまで人の多さは気にならなかったけれど、新年早々、無数の男の裸を見るのも変な感じだ。ここに何本アレがあるんだ。ハシ君と横並びで体を洗い、早速露天風呂に向かった。
露天風呂は都心の景色を一望出来る開放感ある作りだった。ふちがなくて、目の前に絶景が広がっている。遠くに東京タワーもスカイツリーも見えた。すぐ近くではジェットコースターで落ちる人たちを見下ろせる。高見の見物である。
「景色最高だね、来て良かったでしょ」
「うん、良かったわ」
銭湯に行くまでの道中でハシ君が「生きることにモチベーションがない」と話していて心配だった。仕事も恋愛もやる気がない、ただ淡々と過ごしているだけの日常。あんなに大好きだった少年ジャンプも読む気力が無くて、溜まっているらしい。中学生の頃からずっと一緒にいる僕からして見れば、ハシ君がジャンプを読んでいないなんて考えられない。最新の面白い漫画をいつも教えてくれてたじゃないか。
ハシ君は会う度に文句が増えたような気がする。それに僕は若干疲れていたから、会う期間が少し空いてしまった。でも、いつかハシ君がこの世界に嫌気が差して、プツンと消えてしまうんじゃないかと僕はずっと心配だった。だから、今日誘ったんだ。
ハシ君は楽しいことから目を逸らして、嫌なことばかりに目を向けている気がする。自分から見ようとしないだけで、世界にはずっと楽しいことが溢れている。それを楽しめるかどうかも全部自分次第なんだよ。
「お笑いでも今度観に行こう、笑ったら楽しいよ」
僕も今が100%楽しいかと言われれば、そうじゃない。夜にベッドでひとりでいる時に心から思ってなくても「死にたいな」と口にすることがある。何となく呟いてる時がある。その気持ちを紛らわすために、お笑いライブに行ったり、音楽のライブに行って、明日だけでも生きれる活力を貰っている。楽しいことがあれば、その日までは生きようと思える。僕とハシ君はやっぱりどこか似ているんだと思う。だから、僕はお前を楽しい方向に連れて行きたいよ。楽しいことだけ見ていようぜ。
突然後ろから「うわあ!!」と大きい声がした。露天風呂に入りに来たおじいさんが外の寒さに思わず、声を出したのだ。その声の大きさに思わずみんなが振り向いた。おじいさんは自分でも声が出たことにビックリして口を抑えている。いそいそと露天風呂を目指してこっちにやって来る。失礼だけど、僕とハシ君は笑ってしまった。笑わないようにしようとすると、余計におかしくなる。
「うわぁ!って言ったよね」
「自分でもビックリしてたよ」
楽しいと思えるのはこんな瞬間でもいい。些細なことでも楽しめたら勝ちなのだ。おじいさんは温かい露天風呂に入ってさっきのことはなかったように、幸せそうな顔で浸かっていた。