日々は簡単に過ぎていく
寝て起きて、仕事に行って、帰ってご飯を作って、お風呂に入って寝て起きて、を平日は繰り返し、
休日は、寝て起きて、化粧をして友達とでかけ、家に帰ってご飯を作って、お風呂に入って寝て、
次の日は遅く起きて、ランチを外に食べに行って、帰って掃除をして適当に動画などを見てだらだら過ごしていたら、あっという間に夜、そしてまた平日が始まる。
時間が過ぎることは本当に簡単だ。何もしていなくてもそうやって日々は過ぎていく。
桜が咲いていた。
毎年、開花予想を蕾の頃からネットで調べ、まだかまだかとお花見の予定を調整していたのだけど、そんな春と今年は違い、歩いていたら咲いていた。
暖冬のせいで例年より咲くのが早いし、コロナのせいであまり桜の開花についてのニュースが少ない気もするし、なんていっても最近の私は日々が簡単に過ぎていく、だから、桜が咲き始めていたことに気づかなかった。
彼と近所のカレー屋にランチを食べに行って、その後、天気も良いし外で読書でもしようよ、と近くの公園に立ち寄ると、桜が咲いていたのだった。
みずみずしい緑色の、広大な芝生の上を子供たちが走り回っている。親子がキャッチボールや、テントを張ってピクニックをしている。眩しいくらいによく晴れていて、空気は澄んでいた。
ベンチを目がけて歩くと、芝生の中には点々と多数の小さな青色の花が咲いていて、小学生の頃流行ったヘアピアスを思い出す。(髪の毛にくっつける小さな花の飾りだ。ちゃおの付録になっていて大切に髪につけていた)
こんな良い天気の日には、ベンチではなく芝生に寝転がりたいと彼が言うので、レジャーシートを家に取りに帰り、私たちはもう一度公園に。
桜の木の下にシートを敷き、寝そべって読書をする。
彼がスマホで流した音楽は、いつもの五倍くらい騒がしく聴こえ、こんな時は、シガーロスの音楽が聴きたくなった。
聴きながら、仰向けに寝そべり、桜の木を見上げる。
読書をするけれど、すぐに眠くなって目を閉じる。
暖かい日差しが心地よい。
歩いて家に帰るとき、こんな穏やかで淡々としていて、気持ちの良い、透明感のある日々は、自分が日本映画の中に入ってしまったかのようだと思う。
「Laundry」とか「ジョゼと虎と魚たち」とか「人のセックスを笑うな」のような、あの感じ。
そして、家の階段を登っている時、ああこの感じは、あのCMが良く馴染むな、と思いつく。
家に入って、いちもくさんにYouTubeで一番好きなCM、月桂冠つきを見る。
ふわぁ、と気持ちが軽くなり、この映像と同じ感性が肌から染み入ってきた。
春は明るくて彩度も強く、目に映る景色が新鮮な艶をもっていて、私の心情は穏やか。芸術がいつもより良く理解できる。
普通のときに上記の音楽や映像を見ても、退屈に思えたり、飽きてもっと刺激を求めてしまったりするのだけど、春はこういう感じが良く合う、その良さがいつもより理解できる。
彼は、「春は最高な気分だけど、寒くて嫌な冬があるからこそ、春の良さがわかるのかもしれない」と言った。
「確かに、ずっと春だけだったら、ありがたさがわからないかもね」
「でもずっと春が続けば、みんな元気で明るくいられるのにね」
夜は外から猫の鳴き声が聞こえた。
窓を開けてみると、目の前の家の屋根に猫が登って、鳴いていた。
真っ暗だったのに、iPhoneのナイトモードで撮ったらよく写った。
彼は「降りれなくなっちゃったのかな、かわいそう」と心配そうに言っていた。
開けた窓から入る夜の空気は、綺麗で冷たくて、私の肺を心地よく満たしてくれる。
こんな日がずっと続けばいいと思うと、目の奥がじわりと熱くなった。
簡単に過ぎていく日々が少しだけでも立ち止まってくれたらいいのに。
私たちはいつか死んでしまうのだと思うと、こんな日々が奇跡のように愛おしく思えて、ああずっと保存しておけたらいいのに、と切なく思う。
とりとめもないけど、そんな一日。
これから短めの小説をnoteに描いていこうかなと思っています。