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マラウイの「ランドセル」と日本の置き勉

日本の小学生が背負うランドセルは、一昔前は男子の黒、女子の赤が定番だったが、いつの間にか男女問わずカラフルになった。

6年間のハードな使用に耐えられるくらい頑丈で、教科書・ノート・筆記用具をはじめ、その他身の回り品などとにかくたくさん入る。
内ポケットは2つくらい、脇には荷物をかけられるフックまでついている。機能面でも申し分ない。そして、あのこんもりしたフォルムがほぼ崩れることなく6年間保たれるというのは驚異的だ。

そんなランドセルのすごさを改めて考えたのは、マラウイで子どもたちが通学用に使っていた「かばん」を見てからだ。

マラウイの公立学校では、かばんに関するきまりはないから、各々が好きな「かばん」を持って登校する。

首都では、遠足に使えそうなリュックサックの割合が多かった。中国製で、キャラクターのデザインがあしらわれたものも多くみかけた。きっと著作権に触れているのだろうが、そもそも著作権という概念が、マラウイではあまり浸透していない。
(一度、著作権について説明しようと試みたことがある。3度くらい「なんで?」と問い返され、説明が先に進まず「シェアの文化」が土台にあることを痛感して終わった。)

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もちろん首都でも、リュックサックや何かしらのかばんを持てない子もいたが、少数派だ。

それが、農村に行くと、状況が大きく異なる。
多くの子どもたちは、チテンジというカラフルなアフリカ布を使っていた。手提げにしたり、肩掛けにしたり、思い思いの使い方だ。かつて、日本人が使っていた風呂敷もこんな感じだったのだろうか。

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チテンジ以外にも、スーパーの厚めのビニール袋を大事にランドセルの代わりに使う子。

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教科書がちょうど入る小さめサイズの段ボール箱を使う子。

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使わなくなったポスターをどこからか手に入れ、器用に縫い合わせて肩掛けかばんにする子。

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直接ノート一冊とペン一本を手持ちでくる子。面倒くさがりだからではなく、かばんがないことと、そこに入れるべき教科書が十分に渡されていない、というのもその理由だ。

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マラウイから日本に帰国したとき、驚いたことがある。

「教科書やノートがたくさんあって、小学生には負担になるから、適度に置き勉をさせる」ことが話題になっていたからだ。2018年、文科省からも正式に「置き勉」を認めるよう、事務連絡の通知が出たほどだという。

【事務連絡】児童生徒の携行品に係る配慮について(文部科学省)

私が驚いたのは、「置き勉」の是非についてではなく、「日本の小学生たちは、重さが負担になるほどの教科書やノートを与えられている」という点に対してだった。

マラウイにだって、日本の小学校とほぼ同数の教科があり、それぞれに教科書がある。

しかし、教科書の数が全然足りていないから、学校で貸し出し制にしているか、運が良い子だけが数冊だけ入手できる状況だった。ある子は、国語・理科だけ、またある子は算数・英語だけ、のように配付されている学校もある。表向きは、初等教育教科書無償配布のはずが、書店で教科書を売っている現実。

だから、重さが負担になることは、今のマラウイではありえない。
豊かな日本だからこその悩みなのだ。

マラウイの人たちが、この「置き勉」問題を知ったら、どんな反応をするのだろう。

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さて、日本の使われなくなったランドセルを集めて、開発途上国に寄付している団体がいくつかある。
「CHIGASAKIランドセルプロジェクト」もその一つだ。

児童数が多いアフリカの学校では、クラス全員に渡すほどの数はないから、学校の実態に応じて、例えば年間成績優秀者に賞品として渡す(または1年間貸し出す)など、学習意欲の向上にも役立てているのだという。現地の先生の話によると、このランドセルを背負いたくて、勉強に励む子もいるのだとか。

小学校卒業後、行き場を失いがちなランドセルの行き先の候補の1つとして、考えてみてはいかがだろう。一度は眠りについたランドセルが息を吹き返し、第二の人生が始まるかもしれない。

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