偽りの証言を辞めた新社会人in新年会
私は人の誘いを断るのが苦手だ。人を誘うのには勇気がいることをよく知っているからだ。断られた時の相手の表情を見るのが苦痛だから、多少無理してでも誘いに乗ってしまう。
今夜私は偽りの証言を辞めた上で会社の新年会に参加してみることにした。一体どんな結果が待ち受けているだろうか。今社会で苦しんでいるプラットホームにいる少数派の同志達へ届ける。
(タイトルの写真は筆者が出社前に、道ゆく親切な方に撮影してもらった)
チィコーコー•コケン、参戦
年末、一通のメッセージが届いた。それは年明けに開催される新年会へのお誘いであった。これは部署に所属しているすべての人々に届いたものなのかもしれない。しかし私は断ることが出来ない。行くか行かないか、悩むことなく即決した。『行きます』これで気持ちよく新年の挨拶ができる。自分の心に正直に従った結果、誘いは断れない。嘘の用事があると言うと自分の心にダメージが入る。
我々の夜は優しく
そして迎えた当日。規定の時間になると社内の新年会参加メンバーは足取りを揃えながら支度を整える。とても冷える夜であった。私は上司の後を着いて行き、予約していただいた居酒屋へ向かった。道中、年末年始の長期休暇の話題で持ちきりだった。年末年始何していたの?という問いに対して、私は正直に、不法滞在の疑いをかけられて身柄を拘束されていたことを伝えた。
周囲はイロモノを見るような目で楽しそうにこちらを見てくれる。非常に喜ばしいことだ。私はキチガイと思われても、自分のいないところで馬鹿にされても、人間が笑ってくれるのであればそれで良いのだ。
儒教的パフォーマンスレース
飲み放題コース料理で予約されていた席に着いた。私は気遣いがとても不器用だが、こういうとき必ず下手に座ると努力する。しかし席が既に埋まっているのであれば臨機応変に対応しなければならない。その他で、私がホスピタリティにあふれた人物であるということを表現しなくてはいけない。しかし、この会社で長く闘ってきた歴戦の男達は、新年会の段取りというものを完全に把握している。余裕のある振る舞いをしながら、目上の物に対する気遣いを欠かさないのだ。1番下っ端の自分はここぞという時に動くことが出来ない。慌ててやろうにも、辿々しく余計に工程を増やすような洗練されていない気遣いになってしまう。
刺身の盛り合わせが来たら、小皿を配り、その上に醤油を注ぐ。グラスが空きそうになると次に何を飲むものか尋ねる。サラダの取り皿を取り分けやすい位置にキープし、自然に取り分けるか確認した後に取り分ける。こういったことは基本であるのにも関わらず、私はつい取りこぼしてしまうのだ。不器用な私を見て先輩は優しく対応してくれるが、私は常にこの技術を習得しなければならない危機感を感じている。会話を振られると会話に過度に集中してしまい、気遣いがさらに疎かになる。自分より目上の方に気遣いを越されると、自身の能力不足を感じさせられる。みんな分け隔てなく、大皿で自分自身が食べたい分だけ取って食べて飲むというシステムであればどれだけ幸せなんだろうか。神経質で傷つきやすい私はそんなことを考える。
収まるべき鞘へ戻る刀
常に脳内で連想ゲームをしている私だが、人と話す時には自分の話をしすぎないように気をつけている。そのため、聞かれたことに対して答えるということをこの新年会でも徹底して行なった。こうやって供述すると凄く受け身的な様子に思われるかもしれないが、これは社会と適応した上で最適解なのである。こちらから上司のプライベートにズカズカと侵入することは出来ない。私は過去のお酒のトラブルの話や、愛する女性の話、以前朝礼で話した私の奇行が聖書に基づいていた話などを余すことなく正直に話した。そうすると私と接する人間のカテゴリーがすぐにわかる。私の話を好意的に捉えて質問してくれる人、馬鹿にしたり揶揄ったりして楽しそうにしてくれる人、鬱陶しそうに嫌がって席を変える人、すぐに分かれる。もちろん私との距離を置こうとしている人を目の前で見ることは苦痛だ。しかし自由はあまりにも気持ち良すぎるから、全員に受け入れられることはできない。偽りの証言を辞めたことで、人生はあまりにもシンプルだと体験した。
飲み会はハッピーでラッキー
飲み会の持つ開放感が私は大好きだ。あの場所では日頃ノートパソコンに向かって睨みながらキーボードを鳴らす尊敬すべき企業戦士たちが、束の間の休息を行う。鎧兜を脱いだ企業戦士たちの、アルコールの香りがするギャグや笑い声は貴重だ。同じことを何度も言っている人がいるのもすこし面白い。こういった場で、他者を褒めてくれる人は手放しで愛されるべき存在だと私は考えている。私は上司から、「電話を取るのが早くて良い」と褒められた。とても嬉しい思いだ。ほとんど仕事のできないお荷物の私に対して、私の持つ精神性を評価してくれた上司に非常に感謝している。
私は全速力で走り出した。
ラストオーダーの通達があると、宴もたけなわではあったが締めの言葉と一本締めの拍手で新年会は閉幕した。一部ではカラオケに行こうとしている動きもあった。私にとってもこの新年会に参加したことは非常に勉強になる出来事であった。店員は席時間の終了を告げ、少しずつ皿を片付けて行った。我々は店の外へ出され、各々が愉快な話で盛り上がっている。それにしてもあの夜は本当に冷えた。私は1人、集団の進行方向とは逆の街角を見つめていた。
長時間椅子に座ってお酒を飲むということは非常にハードなことである。現代社会に生きる我々には忘れがちなことであるが、私達ホモサピエンスは古来から椅子に長く座ることはない。同じ職場に働く仲間に対する愛や感謝に溢れているとはいえ、生理的欲求に逆らうことが出来ない。
私は全速力で走り出した。2500円で買ったワイヤレスイヤフォンからロックンロールが鳴り止まない。大好きな甲本ヒロトが歌う、日曜日よりの使者を爆音で再生させた。今まで見ていた景色は一瞬にして変わる。爆笑しながら疾走する。小学校、昼休み鬼ごっこだ。我々は何歳からでも本来持つ"楽しい"という感情を取り戻すことが出来る。私はその勢いのまま電車に乗り帰宅した。
宴のあと
このエンターテイメントを私はあなたと、全世界と共有する。目の前のあなたは私を写す鏡であり、その鏡は世界と接続している。私が行動を変えれば、宇宙が変わる。我々は自転していたのだ。それはエンターテイメントだ。楽しいものだ。人生に退屈な奴は俺についてこい!!!!俺は必死にリアリティ溢れるエンターテイメントを提供する。必死かつ正直にやっていれば必ず笑えるのだ。我々は必ず死ぬ。人生のタイムリミットはすでに始まっているだ。残り少ない時間、共に膝を叩きながら馬鹿笑いしようじゃないか。クァックアックアッwww(笑い声)