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母の闘病中に何もしていない私とそれからのこと

私が中1の時に、母が約3年半のスキルス胃がんとの闘病生活を経て亡くなった。振り返り、大事なことについて考えてみる。

自分自身のことで精いっぱいで母が死ぬまで、母と向き合うことができなかったこと

私が小学校4年生になるころに母のスキルス胃がんが見つかった。スキルス胃がんというのは、胃の壁を硬く厚くさせながら広がっていくもので未分化胃がんというものだ。
分化した胃がんは塊で発見しやすいそうなのだが、未分化は細胞が未熟な状態であるため、じわじわと広がっていくので発見しにくいという恐ろしい病気なんだそうだ。最近、ようやく理解した。
そんな大変なやり取りが父と母と病院でなされている時に、私は自分の問題で悩んでいた。

学校に行きたくないと思っていた。小学校2年時に転校した学校に馴染めなかったのだ。
コミュニケーションもうまく取れないから楽しくない。男子には軽いいじめにもあったし、なんとなくやりにくかった覚えがある。

そんな経緯もあり、また母が入院のため家には祖母が来るようになり、偶然なのかそれがきっかけなのかどうかは分からないけど、
小学校4年の時に、このまま布団から出たくないなぁと思い「学校を休みたい。」と祖母と父に言ったら、引きずりだされた。
遅れてうつむいて教室に入ったけど、なにも言われなかったのでおそらく、大人にとっては大したことないだろう、と思われたのかもしれない。

そんな調子だったので、体調が悪く弱った母を直視できなかった。

またがんと言うのは聞いていたけど、スキルス胃がんで余命半年と言われているのも知らなかった。

そして人はいつか死ぬんだということを知る経験や知識が少なすぎた。
小学生の私を肩でがっちりつかんで現実を突きつけてやりたいくらい駄目だめだった。

直視できなかった昔の私を救うなら、どんな方法があるのか?


心理の本で「辛かった昔の自分に肯定のことばをかけて、〇をつけてあげてください。」というようなことが書いてあったので、つらつらと書きだしてみて〇をつけることで「それなりに頑張っていたんだね。」と思った。例えば「お母さんのことを直視できなかったけど、学校へ行って自分を保てただけでえらいね。」という風に。

ただ、一歩前進して考えると、そのような状況になったら「周囲の大人が本当に救えるのか?」ということだ。
私は「学校の先生がもっと私のことを個々の一人として見てくれたら、私は辛い思いをしなかった。」と思って、周囲のせいにした時期もあった。

実際、私が想像力を働かせ、過去の私にこういう専門家がいれば、こういう支援があれば、と考えたけどなかなか難しい。
理由は家庭で起こっているできごとは見えにくいのだ。

また、当時の私は本当の気持ちを出すことができていない。
実際、男子からいじめにあったことを担任の先生に「大丈夫?」って聞かれて、笑って、「そんなことないです。」と言っていた。
本当のことをいうと全て台無しになってしまうと思っていたから。
現状維持が精いっぱいな中、専門家に「なにか困ったことない?」と聞かれても「悪く思われないようにしないと。」と思うかもしれない。

大学で社会福祉を学んでから少しずつ思いこみの呪いが解けたけど、過去の私に呪いを解くことばってあるのかな。そんなことを考えている。

解決策は見つけられていないけど、今、思うこと。


冷静に父の書いた母の闘病記を見ると様々なやり取りが書かれている。
もしその当時、父が「母の病気のことを教えてくれたら」、医療従事者が「子どもも大事な家族のパートナーの一人だから伝えた方が良い。」と言ってくれたら、どうなったのだろう。

母自身も胃がんというのは知っていたが、スキルス胃がんで余命半年というのは告知されていなかったのだから。当時は、告知について患者が知る権利というのはまだ一般的でなかったようだ。
決して父とお医者さんが意地悪をしているわけではないと思う。
父も胃がんというのは言ったそうだが、詳細(スキルス胃がん、余命半年、闘病最後の辺りで「もう治療の見込みがない。」ということなど)は言えなかったそうだ。
それは父なりに考えた優しさからだろう。

たかが、がんと(漢字にしないと読みづらい・・)あなどるなかれ、と思う。
がんというのは恐ろしい病気だ。このように、がんの治療に伴う苦しみや辛さだけでなく、精神面や家族関係などにも大きく影響を及ぼしてしまうからだ。

だからこそ、それをどう捉えるかでおおきく変わると思う。

「病気という症状面だけに目を向けて”たかががん”」と思うと、医療面しか考えられなくなるし、本人や家族は抱え込んでしまうと思う。
大きく影響を及ぼす問題だということを自覚できれば、病気を治すことだけでなく「自分はどうしたいのか。」に目を向けられると思う。
死の恐怖が目前に迫っているのかもしれないけど、大事な何かが失われることの方が怖い気がする。

私は母でもなく、母を懸命に支えた父でもないからその恐怖は計り知れない。
けど、母が亡くなってもう20年も経つが未だにもやもやが残っている。寂しいとも思う。特に「大変だったんだね。」と言われることは求めていない。

今、自分が解決したいのはこのモヤモヤとふとした瞬間に訪れる寂しさのようなものだ。

この記事を見てくれた人で一緒に考えてくれたり、似たような状況にいる人がこういうのは私だけじゃない、と思ってくれたり、専門家の人は日々の仕事をこなすことで大変だと思うけど、「はっきり声を大にしないと見えづらいこの問題」を、考えてくれたら私は嬉しい。

ゆたかさってなんだろう、という答えになっていないかもしれないけど本当に見えづらいものなのだと思う。専門家でも見抜くのが難しいと思う。

だからこそ、困った時は「声を大にして言っても良い」、
そして私も表面だけ見ないで常識に捉われないで、本質を見られるようになれたら良いなぁと思う。

その時に私の世界はもっと開けるのかと思う。

写真は現在の夫と付き合っていた時のデートで、かんざし屋で試着した時の写真です(切れているけど)。
あひるのかんざしはかわいいけど「子どもっぽいかな」、と気にしていたけども、「試してみるならただなんだから。似合わなかったらそれでいい。」と夫に言われて、思いの他気にいったかわいいかんざし。

買わなかったけど、今でも思い出深いエピソードです。

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