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平行世界の夢

夏になると、よく鮮明な夢を見る。

体の感覚、感情、会話がすごく鮮明で、起きた時に「あれ?今いつだっけ?」と思うような夢だ。

毎年飽きずによく見るなーと思う。

そんな鮮明な夢を見る時は、きっと並行世界の自分を覗いているんだと思うことにしている。


昨日から、またそんな鮮明な夢を見てる。

街のガヤガヤした音が全然平気で、
普通にたくさんの人と話せて、
大きな声で思いっきり笑えて、
お酒にも強くて、
たくさん友達を作って、
賑やかにパーティーしてる夢。

うつ病にならずに大学を卒業して、
就職して家族を作って、
少なくとも「息してるだけで死にそう」とは思ってない。

息がしやすくて、体が軽い。

ずっとそんな夢を見てる。

起きた時はホッとする気持ちが半分と、ずっと夢の中に痛かった気持ちが半分ずつくらいある。


実際の私は夢と真逆で、外向的な要素は一切ないし、たまに駅に行くだけで「はー音デカすぎ!しんど!息するのしんど!!」と思う(笑)。

・・・しんどかったのよ。ほんとに。

今まで生きてきた1日1日が。

生まれ持った敏感な気質を受け入れられるようになっても、「息するのがしんどい」と感じてきた今までの1分1秒が、なかったことになる訳じゃない。

ずっと憧れてきた「こんな人生だったら良かったな」と思う人生が、今世ではたぶん手に入らないという事実も、なかったことになる訳じゃないんだ。


その代わりに敏感さという気質があって、だからこそ歩める人生があって、だからこそ出来る何かを、きっとこれから成そうとして生きていくんだろう。

それをちゃんと自分で知っている。

どこか理屈を超えた部分で、分かってるのだけどね。

それでもやっぱり夢にみるから、「今度生まれ変わったら外向的でHSP気質のない自分になって、憧れてた人生を歩みたいな」って思う気持ちも、やっぱり超然と残ってるんだろう。

そっちに波長が合うと、泣きたくなってくるな。


「ないものを嘆く」ということ、
「あるものに感謝する」ということ。

欠乏と感謝はいつも表裏一体で、どっちもあるものだから、たまには「思いっきり欠乏を嘆く」というのも必要な時期かもしれないね。

いつも読んでくださりありがとうございます!直近でいただいたサポートは、引っ越し先で使う新しいカーテンと木の食器のために、大切に使わせていただきます(2019年3月末現在)。