情熱弁当ができるまで⑦本当にやりたい事はなんだ?
超不定期連載「情熱弁当ができるまで」。
そろそろ、終盤に近づいてきました。
まだ、こんなブログで消耗してるの?
前回までのお話し。
>>>【情熱弁当ができるまで】①上京と出戻り
>>>【情熱弁当ができるまで】②店長への道のり
>>>【情熱弁当ができるまで】③新人店長の苦悩
>>>【情熱弁当ができるまで】④そして奇跡は起きた!
>>>【情熱弁当ができるまで】⑤仕事の意味を見失う時
>>>【情熱弁当ができるまで】⑥無職で自由にはなったけど
◆本当にやりたいことはなんだ?
独立とは言っても、やりたい事が多すぎてよくわかんない。笑
ボクが20代の終わりにNYへ行き、トライベッカのNOBUで食事をした時に思ったこと。
「いつかこのNYで、外国人に和食の良さを伝えたいな。」
「外国で自分のお店をやってみたいな。」
夢を語るのは自由ですが、現実からは程遠かったのです。
母の世話や介護も、長男として放ってはおけないし。
NYで外国人相手に伝えるのは、今は無理。
でも、別の形で和食の良さを伝える必要性があるんじゃないか?
また、船場吉兆の賞味期限切れ販売問題や、料理の使い回し事件が起きた時。日本料理会のトップである吉兆の起こした事件で、世間は大騒ぎでした。
特に、食の安全や食品偽装に対する誠実さを問われだした時でした。
消費者も、味やブランドだけで選ぶより、安全性や食品の質へと目線が移る時でしたね。
雇われの身では、できることに限りがある。
ちっぽけでも、自分の意思だけで動ける経営者になるしかない。
悩んで悩みました。
単に料理が作りたいだけでもない、
外国人相手に英語で接客するだけでもない。
『本物の食材だけを使い、後の世に素材その物の味を伝えたいのではないか?』
結論は、そこに落ち着きました。
◆野菜と玄米の美味しさを知る
ネットを使って、農薬や化学肥料に一切頼らず野菜を作る人が、ちらほらと増えていた頃。たまたまネットで知った、土磨自然農園の農園主たつまさん。
定期的に、愛知県春日井市の『ギャラリーカフェ ROSILY』さんの店頭で、ツキイチの野菜販売をしていたので、会いに行ってみたのです。
そこで買った野菜の味が、濃くて美味しかった。
ボクの知らない珍しい野菜が多くてねぇ。衝撃的でした。
その後、松本自然農園さんにコンタクトを取ったり、いろんな農園を回って、生産者さんのお話しを聞きに行ったのです。
また、それまでに玄米なんて食べたことがないボクでした。
たつまさんに会いがてら、食事をしたROSILYさんで食事をさせていただいたり。
また、名古屋市熱田区『玄米食のら』さんの玄米を食べてみて、これは甘くて香ばしくて美味しいと思った。米はブランド米の白米が一番と信じていましたが、見事に裏切られたんですね。
本物の素材と玄米を使って、健康的な食事を作ったら喜ぶ人が多いのではと感じました。
◆宅配弁当の発想は「携帯電話」
とはいえ、ただでさえ飽和状態の飲食業界。
普通のアイデアで、新参者が行きていける世界ではありません。
ふと目をやると、携帯電話が。
GPS機能が使えるようになり、地図でカーナビが動く時代が始まっていました。かねてから、これって何かに使えるのではと感じていたのですね。
「これがあれば、住所だけで確実に目的地へ着ける。」
もともとボクは、25才くらいまでは板前で生きていこうか、それともオートバイのレーサーになろうかと悩んでいて、結局料理の世界を取った。
レーサーにはなれなかったけど、宅配でバイクを使えば、それもバイクの仕事。どのみち、早く走れるのは良いことしかない。笑
『本物の食材+玄米+GPS付き携帯+バイク』
◆宅配でお弁当を届けよう。
カラダが不自由とか、外で外食ができないとか。
ボクの母みたく、美味しいものを食べたくても食べに行けない人の救いにもなれば、社会貢献ができるよね。
これで、開業の基礎部分が完成したのです。
自分があれをやりたい、これをやりたいと考えると収拾がつきませんが、
誰の役に立てるかな、どうしたら世の中が良くなるかなと考えたら、必然的にやるべきことが見えたのです。
きっと神様が、
「お前はこれをやれ」と言っているかのようでした。
とはいえ、ボクがいたのは外食産業。
弁当業界で働いたことがないので、アルバイトで中食へと飛び込みます。
なにより、開業前に現場を経験しておきたかったのですね。
そこで、名古屋栄三越・デパ地下の、超繁盛中食店の門を叩きます。
開業準備と同時進行だったので、なかなかハードな毎日でした。