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情熱弁当ができるまで④そして奇跡は起きた!

超不定期連載「情熱弁当ができるまで」。
まだ、こんなの読んでるの?笑

前回までのお話し。
>>>【情熱弁当ができるまで】①上京と出戻り
>>>【情熱弁当ができるまで】②店長への道のり
>>>【情熱弁当ができるまで】③新人店長の苦悩

自店スタッフから総スカンを食っていた、店長のボク。
店の改善と同時に、チームの楽しさが段々とわかってきたのです。

そして、店長2店舗目へ異動になります。
半年ごとに店が変わる、いわくつきの場所で。

赴任先は、中川区の松葉公園近くの「旗籠家まつばみせ」。
夜になると誰も通らない場所。行き交うのはクルマだけです。

いろんな経営母体の各種飲食店が入るものの、いずれも半年ごとに撤退して店が変わる。地元でも有名な、不吉な場所でした。

ボクの赴任は、ちょうどここに旗籠家ができてから半年経ったときでした。ダメじゃん。笑

店は2階建てで客席も2フロア。
キッチンは1階で、2階への料理は電動リフトで運びます。

とにかく、オペレーションがやり辛いのですな。

最大で13人出勤/日だったのですが、約半数にして動線を組み換えます。
と同時にキッチン、ホールスタッフともトレーニングのし直しを。

キッチンとホールを行き来できる、ハイブリッドスタッフを育成しました。
仕事を役割として捉えるより、自己成長の糧としてみたのです。

昨日までできなかったことが、今日できる。
本人たちが、やりがいを感じだしました。

スタッフの適性から、繁忙日の入口対応やドリンク場担当など、各々の得意分野を伸ばして自信をつけさせました。で、その人に新人をつかせて教育を任せました。

ボクは、新人への教え方を教えました。

店長自身は、お客さまへの聞き取りと近隣調査で、沖縄から来ている人が多く住んでいるのを把握。本部に内緒で勝手にドリンクメニューを作り(笑)泡盛などのラインナップを加えました。思惑通りヒット。

また、40代以上のサラリーマン受けするよう、芋焼酎の濃い蕎麦湯割りを「当店限定メニュー」としてオススメしてみました。

それを目当てに再来店する仕事帰りのサラリーマンが激増。
東京時代、手打ち蕎麦店でも働いていた事が役に立ちました。

店長のボクの仕事はというと、客席を回ってお客さまへの挨拶と宴会の幹事さんへお礼&お帰り時のお見送りを徹底。

ホールスタッフにも名刺を作り、各々に固定のファンを持たせました。社員以外に名刺を渡してキャラを立てるって戦略は、当時は無い概念だったのです。

そんなこんなで、瀕死の店の売上は徐々に上がります。
最大で3回転する日もありました。

その結果、年末の12月にはたった80席、ランチ営業なしで850万円を売ります。一番驚いていたのは社長でしたけど。

なにせ、スタッフの活気とやる気が伸びました。
学校は休んでもアルバイトには来る。

大学では地味な存在でも、店ではヒーローになれるのです。
お客さまは喜んでくださるし、店長にめっちゃ褒められる。
で、さらに仕事を覚えてくれるという好循環。

それを見るボクが、一番嬉しかったなぁ。

そして、奇跡が起きます。
その年の年間MVP店長の発表が全体会議でありました。
新人店長になって9ヶ月の、ボクの名前が呼ばれました。

副賞で現金10万円もいただきました。

皆はおめでとうって言ってくれたけど、
それは、ボク一人でなし得た事ではないのです。

店長も社員もアルバイトも関係ない。
同じ店の仲間で勝ち取った評価ですからね。

一丸となって仕事に取り組み、楽しみながら自己成長を確認できた。
結構無理を言ったけど、ぶつかりながらも前へ一緒に進めたのです。

休みの日、スタッフたちを交代で勉強になりそうな飲食店に連れていきました。食べて飲みつつ、他店のサービスなどを経験してもらいました。

理論だけではなく、体験しないと人間は理解できないから。

で、10万円を自店スタッフとの飲食代金で全部使っちゃった。笑
それをフィードバックして、さらにいいお店ができればと思ったから。

「さ、来年も10万円ゲットするぞ」と意気込んでいたら、次の辞令が下ります。苦笑

◆初の新店立ち上げにチャレンジ

名古屋市守山区の「旗籠家しけんやみせ」。
110席を誇る、郊外型の新店舗でした。

居抜き物件のフル改装で、総工費は4000万円ほど。

さんざん経営陣からハッパをかけられましたが、びっくりするほど開店景気が続かず苦戦します。

名古屋では初のキッズルーム付き居酒屋。
家族みんなで来れるというのがコンセプトです。
駐車場も広く、入り口には松明が燃える立派な店でした。

この年の3月から、すぐ近隣で愛知万博が開催されており、なにせ働いてくれるスタッフがいない。ウチは時給850円でしたが、万博内のアルバイトは1200円のため、そっちでバイトしてしまう。立ち上げから人の頭数で苦労しました。

ここでは、広い店内を活かしていろんなイベントをしました。

皆でコスプレしてのクリスマスや、キャッシュバック付きくじ引き大会など、結構自由にやらせていただきました。

たとえヒマでも、店内の活気を保つ工夫をしたんですね。
そうすることで、お客さまが入りやすくなりました。

また、住宅街のど真ん中なので、お子さま連れのお母さん向け「昼宴会」も提案。

駐車場が広かったので、夜にクルマで来て飲んじゃった人には、無料で翌朝まで駐車してもらいました。

お父さんはビール、お母さんは食事、子どもはジュースなどのフリードリンクに加え、デザートやキッズメニューも充実。

「あそこにいくと、家族全員が楽しめる」
評判が評判を呼び、徐々にブレイクします。

週末は17時の開店と同時に110席が埋まりました。
ウエイティングは40組オーバーの最長2時間半待ち。

今では考えられないですよね。

店長があれこれ指示を出さず、スタッフたちに任せるところは任せ、最後のチェックだけする形。なにかあった時は、逐一報告させました。個性豊かなメンバーが多かったのですが、皆が自立して楽しんで仕事をしてくれました。

アルバイト求人誌での募集効果は弱かったのですが、お客さまが「ここでバイトしたい」と応募してくださる事が本当に多くて。ここでも人に助けられました。

そんなこんなで、ボクの鬼門だった人の教育やコミュニケーションが、だんだんとスムーズにいくようになり、成果が目に見える形に変わってきたのです。

しかし、その翌年。
思いもよらない事態が起きます。

ある日会議室に全社員が呼び出され、経営者が変わるというお話しが。
つまりM&A、会社の吸収合併ですね。
我々は売られた側です。

その日の夕刊には、中日新聞に載っていました。
会社が買収される事を当日まで知らなかったのは、我々社員だけだったのです。

会社が身売りし、組織がバラバラになっていくのに長い時間はかかりませんでした。

【⑤につづく】


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