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指導について

 人を指導する立場にある職位の人間には、「信頼できる人格」と「総合的なマネジメント力」が必要不可欠となる。

 大抵の場合、似非マネージャーは、部下に対して息が詰まるような「叱責」による「攻撃」を続け、部下たちは10歩も100歩も退いてしまう。

 昭和時代を思い浮かべると、学校の教師でさえ「ネブチ」と言われる、竹などの棒状の鞭を持ち、男女などお構いなく、尻や太ももを叩きまくっていた。

 「痛さ」、「辛さ」を与えて指導する暴力的スパルタ教育だが、冷血教師は、生徒を殴り、何人もの生徒の鼓膜を破った鬼畜のような教師が実在した。

 生徒は「痛さ」、「辛さ」から遁れる為に、日々ビクビクしながら教師の顔色を伺い命令に従うばかりで、教師と生徒の間には「信頼関係」など皆無に等しかった。

 これは肉体的なダメージを「是」とする軍隊もどきの荒々しい指導法であり、生徒の心の中は「恨み」だけが深い傷として残ることになる。

 また、最近「パワハラ」という言葉が蔓延しつつある日本国内。メールやSNSなどで、相手の心に傷をつける行為が、日常茶飯事行われている。

 事件になったり、裁判沙汰になったりしても、悪質極まりない精神的な攻撃は止むこともなく、全国津々浦々から弱者の悲鳴が聞こえてくる。

 企業においても、指導する側は、指導を受ける一人一人の人格を大切に扱う必要がある。職位を以って、自分の気分や感情だけで押しつぶすのは実に大人気ない。

 それは「愚行」、「蛮行」であるだけで、決して、双方に良い結果をもたらすことはなく、段々と、加害者自らは孤立し、蟻地獄に落ちて行く。

 指導する側の人間が、すこぶる「大らか」で、部下から「信頼」される「人格者」であれば何も問題なく、全てが好循環となるはずだ。

 「信頼関係」ありきで、初めて「称賛のマネジメント」が実践でき、更に、部下の才能を最大限に引き出す「エンパワーメント」も可能となる。

 こんなにも容易なことが、何故、理解できないのか!?それは、その指導者の思考回路に、根本的な「歪み」というものが存在し、邪魔をしている。

 勿論、ダラダラと遣る気のない部下を見ていれば、誰だって腹が立つ。しかし、そこで「叱責」、「恫喝」に傾注しても、何も解決することはない。

 しかし、それに気づかぬ指導者の腐った心の中では、より辛辣なる「叱責」、「恫喝」、「暴力」という手法を悪魔が囁き、誘(いざな)うのである。

 全ての部下をエキスパートに育てるのは容易なことではないが、駆け引きのない「信頼関係」を互いに結ぶことから始めるのが肝要である。

 畢竟、指導とは「抽象的且つ複雑難解な言葉の綾」を投げ掛けるのではなく、「シンプル且つ具体的な示唆」から取り組まなければならないと言う事である。

サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。