田舎を捨てれば、ある日突然『飢餓大国』になってしまう。
国内の都道府県を見ると、特に地方の県は、県庁所在地に全県人口の三分の一以上が集まっているところが多い。熊本県も県民180万人の内、70万人以上が熊本市内に住んでいる。
国立公園は県内に2ヶ所、阿蘇と天草があり、観光資源も豊富。食材も海の幸&山の幸がわんさとあるにも関わらず、田舎を捨てる若者が多い。山手や離れ小島の村では、『限界集落』が激増するばかり。
ここで考えてみた。都市部に沢山の人間が集まるのは一向に構わないが、日頃の食糧は誰が生産して供給してくれるのか!?都市部で米、麦、野菜、牛、豚、鶏を育てている農家はすこぶる少ない。
田舎の一部の生産農家は生活に困窮し、結局、兼業農家に移行、最終的には田畑を放置するか手放すかで、サラリーマンになる子供たちばかり。米を育てたとしても、自給自足程度の生産量。高齢化した町村の山手では、年を重ねるごとに部落の灯りが暗くなって行く。
今、現役で仕事をしている人たちは、20年後、30年後、自分達が高齢者になった時のことをシミュレートしているのだろうか。足腰や背中に激痛が走り、歩くのも大変な高齢者になった自分を想像ことがあるのだろうか。
田舎で米も野菜も自給自足程度の生産量であれば、都市部の人間の食糧は海外からの輸入に頼らざるを得ない。しかし、それらが安心安全なのかの保証はない。今、ウクライナ・クライシスにて、邪悪な独裁国家が『兵糧攻め』を展開し、小麦などをはじめ急騰しているのが良い例である。
今まで、安かろう不味かろうで海外に依存していた食材が、想定外に高騰し、それも円安が加速して、国内は大混乱の渦中にある。給与はタンス預金で備蓄するばかりで、消費活動は旅行以外は静かなもの。
筆者は、一時期、田舎の『地域おこし』に傾注していた時期があった。一例として、当時の長崎県奈良尾町の相談を受け、自費で何度も上五島へ足を運び、大掛かりなイベントを企画して実施するために、自分に鞭打ち、東奔西走していた。
しかし、市町村合併となり、30年ほど前までは全国3225市町村あったが、現在は半減している。よって、当時の村や町は市に統合されて上手く収まっているように見えるが、実は、村や町の山手や島々では後期高齢者のみとなり、『限界集落』が次から次に増えている。
某市の総務課長の話を聞くと『コンパクトシティ構想』を唱え、「郡部の『限界集落』に住む高齢者を、市の中心に移住させ、暮らして貰おうと考えています。」と言う。言うは易しだが、それが本格化すると、農作物も激減するばかりである。また、海外からの輸入に依存するという悪循環となってしまう。
周囲の独裁国家の侵略により『兵糧攻め』となっては、我が国は『飢餓大国』になってしまう。水田はヒビ割れ再起不能。畑は雑木林になってしまう。山はカズラで覆われ、植林された杉などの木々は枯れてしまい、これまたジャングル化。湧水もどこにあるのやら、不毛の地となってしまう。
これから20年後。三分の一の高齢者が施設で項垂れている姿しか見えてこない。圧倒的に増える高齢者の交通事故や転落事故。通りすぎる車の三台に一台は高齢者。ウィークデイのスーパーは、ほとんどが高齢者の買い物客となる。
今の高齢者はある程度恵まれた年金の世代であるが、20年後は今の年金額は担保されていない。長生きしたくとも、生きて行けない最悪の生活環境が待っていることになる。考えるだけでも、恐ろしくなってしまう。先日の、胡錦濤を無視する習近平の姿がふと脳裏を過ぎった。
筆者が思うに、今こそ、『田舎の大発掘時代』ではなかろうかと。老若男女、遊び所が多い都市部も宜しかろうが、熊本市レベルであれば、すぐに飽きてしまうほどのものである。
しかし、『お上りさん』はどうしても関東圏の東京を目指す。家賃も高いが、月極駐車場は家賃より高い。そんな息苦しい大都市で、人間らしい生活ができるかと言えば、筆者は御免被りたい。
フランスやドイツ、イタリアの片田舎に行けば、道沿いに一階がショップで、二階、三階が住居。それらが石畳の道を挟んで壁になり街を構成している。一戸建てに固執する日本人だが、その資産価値は地方では無価値と言っても過言ではない。
地震大国日本で、木造は地震に強いと言われながらも、実は脆弱であり、瓦が総崩れ、柱は折れ、家が潰れてしまう。そんな木造建築を、今も尚、『和』のスタンダードで建てることに意味があるのか!?火事ともなれば、一瞬の内に延焼し、真っ黒焦げに焼け落ちる。
台風が来れば、鉄筋コンクリートの頑丈な建物の中に避難せよと言うが、勝手に人様の家や公的施設に侵入することなどできはしない。現在の消防法や建築基準法がどうなっているか、詳細は知らないが、『災害大国』であれば、耐久性、耐火性、耐風性、耐地震の建物をスタンダードにすべきではないか。木造30年、鉄筋コンクリート50年が基準となる現在の耐久性は意味も無く、価値も無い。
海外の壁のような長屋は、200年以上も前のアパートに住んでいる人も少なくない。日本の無駄無理なバブリーなシステムを未だに踏襲している、建築業界と不動産業界。これから先を考えれば、それも後期高齢者が急増する世の中になるのであれば、国が『秘策』を講じて、安心安全に住める都市づくりを実現すべきだ。
大都市部に高層ビルばかりを建てる、そんな時代ではない。全てのインフラが最先端であるだろうけれども、あれこれと脆弱であることは間違いない。今までのような大都市部に集中する時代は、既に終わった。高層ビルがどんどん建ったとしても、国民の『幸福度』が上がるはずもないのだから。
熊本地震の影響で、熊本市役所庁舎の問題が生じていたが、熊本城内のだだっ広い二の丸公園や三の丸公園に、平屋の庁舎を作ってはどうかと考える。勿論、文化庁やその他機関との調整は必要だろうけれども。そこで職員が江戸時代の和服姿ならば、観光資源としても一躍を担うことになる。
我が故郷の田舎を捨てることなく、これからはもっともっと大切にして欲しい。ある日突然、我が国が『飢餓大国』にならぬように。従来の生産農家への『助成金』や『補助金』の制度を見直し、都市部からの移住者を積極的に受け入れる体制を作る必要がある。しかし、その前に、皆の心が『住み心地の良い田舎づくり』へベクトルを切り替えることが必要である。
田舎の空気は旨いぞ!