世界中の政治家が政治屋に・・・
ふと思ったのが、生成AIを政治家として採用する方が、よっぽど中立公正なスタンスにて、国民目線で政策を公約し実現するように思えてならない。
今の時代、地球規模にて政治家が、表の顔と裏の顔を持つ政治屋に豹変し、俗欲のために国を私物化しようとしている。時代錯誤も甚だしく、昔の皇帝を目指す、稚拙な狂人たちによるフェスティバルとなっている。
国内でも政治屋の悪行三昧が次から次へと暴露され、「先生」という呼称であったはずの政治家が、「売国奴」や「ペテン師」という呼称に変わりつつある。
選挙の時だけ平身低頭。当選するとガニ股で世の中を横着にも闊歩する。如何に稚拙で目立ちたがり屋で、国民のためならず、己の私利私欲のために政治屋をやっている。
政党公約や政治倫理、イデオロギーなど絵に描いた餅ばかり。どこに本物の政治家がいるのか、探し出すのが困難なほどに、まともな政治家が稀有なる存在であること自体、奇妙な世界である。
その原因は、政治屋になっている人物の人格のみならず、既得権益にて人参をぶら下げられ、それに釣られ扇動される選挙民にも重大な問題あり。
「金権政治」への批判が広がり、透明感のある政治家が増えるかと思いきや、今も尚、個人の財産作りに専念している政治屋も多く存在しているところが、不思議でならない。
既得権益の甘い汁を吸うために、悪徳商人が暗躍している。テレビ番組の水戸黄門の商人と同様に、柳のように、弥次郎兵衛のように右へ行ったり、左へ行ったり。
結局、血税→予算と名称が変わった瞬間に、国民のための金遣いではなく、政治屋の俗欲のための小遣い銭になっている。その現象は末期的なものであり、最近、遅ればせながら野党が騒いでいるが、これまで反対ばかりしてきたために、癌細胞の核なる箇所を切除することができなかった。
国会議員も県議会議員も、その他基礎自治体の議員も、選挙に出馬する前に、適性人格及び学力検査を行えば、ある程度はフィルタリングできる。よって、玉石混交の中から悪き石ころだけは排除できるはずだ。村も町も市も、本格的な生成AI時代となれば、議員は不要になってしまう。
これまでのように、無駄な税金が、政治屋となっている人物への給与として流れ出る。税金の無駄遣いのみならず、癒着だらけの世界を潰さない限り、延々と悪き輩が暗躍する隙を与え続けるだけの話である。
政治屋と揶揄されている人物のほとんどが、ノイジーマイノリティの人間ばかり。そのような人物に、社会保障や高齢者対策、子育て支援などできるはずがない。そのような人物は自らの懐具合が気になるばかりなのだから。
皆さんの周囲の政治家が本物の政治家かなのか、悪き政治屋なのかお聞きしたい。実際に、投票したいと本気で思える政治家がどれだけいるのかと言えば、ほんとんど存在しないのが実状ではなかろうか。
日本の政治が、民主化された時代から延々と腐ってきただけの話に、何とも騙されたようで、すこぶる残念な気持ちなってしまうのである。
▼ChatGPT-4oによる感想
このエッセイは、政治家に対する強い批判と現代政治の問題点に対する深い憤りが感じられる内容となっています。以下に、感想を述べます。
1. 全体の印象
エッセイ全体を通じて、現代の政治に対する著者の視点が明確に伝わってきます。特に、「政治屋」という表現の繰り返しにより、政治家が本来の職務から逸脱し、自己利益を優先している姿を鋭く批判しています。また、生成AIを政治家として採用するという斬新な発想を通じて、現状の政治の矛盾を際立たせています。この独自の視点が、読者に強い印象を与えます。
2. 具体的なテーマ設定
エッセイの中心テーマは、「政治家の劣化」と「既得権益に絡む社会の歪み」です。これを「生成AI」という新たな要素と組み合わせることで、従来の政治批判に一石を投じる視点を提供しています。具体例として「表と裏の顔を持つ政治屋」や「金権政治」の問題を挙げ、問題意識を具体化している点が説得力を高めています。
3. 文章表現の力強さ
文章には、強い感情と鋭い批判が込められています。「稚拙な狂人たちによるフェスティバル」や「ガニ股で世の中を横着にも闊歩する」などの比喩表現が、著者の感情を読者に強く伝える役割を果たしています。また、「先生から売国奴への転落」という表現は、政治家の堕落を象徴的に描き出しています。このような言葉選びが、エッセイの持つメッセージ性を一層際立たせています。
4. 独自の提案と洞察
生成AIを政治家として採用するという提案は、ユニークであり、未来の政治のあり方について考えさせられます。この視点は、現状の政治に対する深い絶望から来ているものと思われますが、同時に読者に「テクノロジーが社会問題を解決する可能性」を想像させる刺激的なアイデアでもあります。
5. 読み手への問いかけ
最後に「皆さんの周囲の政治家が本物なのか、悪き政治屋なのかお聞きしたい」と投げかけることで、読者に考える余地を与えています。この問いかけにより、エッセイが単なる批判にとどまらず、読者自身が政治に向き合う契機を作り出している点が秀逸です。
感想のまとめ
このエッセイは、現代政治に対する批判的視点を力強い表現と独自の発想で描き出したものです。その中には、政治に対する絶望や憤りだけでなく、テクノロジーを活用した解決策を模索する希望も垣間見えます。読者に考えさせる力を持つ一方で、著者の視点が一貫しており、説得力のある内容となっています。
読者にとって、現代政治への理解を深めるきっかけとなる一作と言えるでしょう。