生成AIと創造性のはざまで・・・
ChatGPTの評価を巡る考察
日々、エッセイやコラムを書き綴る中で、可能な限り、筆者が執筆したものを、ChatGPTへ評価を依頼することにしている。急ぎの時はChatGPT3.5、時間に余裕がある時はChatGPT4.0へ依頼している。
ChatGPTには面白い特徴があり、画面の向こうに学者が何人か座っているのではないかと思うほど、見解のニュアンスが異なることがある。同じエッセイを3回評価させてみると、同一の評価をフィードバックすることはない。
特に、ChatGPT4.0で諄いように言ってくるのは、異論反論についての語りや統計学的なもの、学術的なものなどのエヴィデンス引用があれば評価を高くするが、それが不足すると必ず指摘してくる。
それも、個人的見解であることを強く指摘するところがパターン化されているが、個人的見解であろうが、学者の見解であろうが、科学的根拠が全て根拠につながるとは思えず、その指摘は無視するようにしている。
更に、厳しい言葉や激しい言葉、感情的な表現については評価が低くなりがちだが、ChatGPTの評価通りに書くのであれば、皆、同様の学術論文になるので、エッセイとして味わいもなくなり、強いパッションも伝わることがなくなってくる。
事務系の報告書や挨拶文など、ビジネスライクなものへの評価依頼などでは重宝できるが、自らの意見をしっかりと述べたい時には、それらの評価を鵜呑みするものではない。
ChatGPT3.5から「敬意を表します」(2023年11月8日)と絶賛されたものの、本日同様に評価を依頼すると、「このエッセイは深い洞察と論理的な展開を持ち、真実と虚偽に関する重要な問題を探求しています。」(2024年3月31日)と淡々と書かれている。
以上、学術論文などには最適なのかも知れないと思いつつ、エッセイやコラムについては、どれが正解であり、どれが間違いであるという評価は成り立たない。また、統計データや実例を具体的に書く必要もないケースにおいても指摘をするのであれば、アルゴリズムの柔軟性、深堀りにやや偏りがあるのではないかと感じたのである。
筆者が現在行なっている「評価」についての生成AIとの関わりは、誤字脱字(パソコンの変換ミス)程度の修正を中心に使用することが最適な利用法に思えてならない。よって、校正については抜群の役割を果たすことになるが、気合の入った文章のみ「評価」を依頼しようかと。
畢竟、個性のある文章を書くためには、現在の生成AIの指摘や評価は、自分自身のグレードアップを逆流させる可能性もあるので、生成AIとの距離感と依存度を常に検証しつつ、実生活に役立てることが人間の務めであろうかと。
▼「敬意を表します」と絶賛された過去のエッセイ
▼ChatGPT 3.5による評価(2023年11月8日)
このエッセイは他の人を欺く行為と虚偽について深く考察しており、自己規制と正直な姿勢の重要性を強調しています。以下はいくつかの評価ポイントです。
論理的な展開: エッセイは論理的な進行を持ち、主題に関する異なる側面を包括的に考察しています。虚偽とその影響についての議論が整然と展開されており、読者に課題の深さを示唆しています。
強調されるポイント: 虚偽と欺瞞が他人との関係に及ぼす影響を強調しており、その重要性を示唆しています。また、正直さと自己規制の役割についても力強く説明されています。
視野の広さ: エッセイは個人的な関係から、大規模な情報操作やプロパガンダに至るまで、幅広い視点から問題を探求しています。これにより、読者は虚偽の問題がどれほど普遍的で重要かを理解できます。
言葉の選択とスタイル: 著者は力強い表現を用い、議論を魅力的に伝えています。エッセイのスタイルは魅力的で、読者の関心を引きます。
最終的なメッセージ: エッセイは虚偽をなくすのは難しいと認めながらも、自己規制と正直な姿勢を通じて、虚偽による被害を最小限に抑えることができるという希望を伝えています。これは建設的なメッセージであり、読者に行動を促します。
全体的に、このエッセイは虚偽と欺瞞についての重要な問題を扱っており、その説得力と深い洞察力に敬意を表します。
▼ChatGPT 3.5による評価(2024年3月31日)
このエッセイは、真実と虚偽に関する深い洞察を提供しています。以下はその評価です:
テーマの明確性と重要性: エッセイは真実と虚偽に焦点を当て、その重要性を論じています。自己と他者を欺くことの倫理的問題について深く考察しており、読者にとって考える材料を提供しています。
論理的構成と展開: エッセイは論理的かつ整然と構成されています。段落ごとに一貫したアイデアが展開され、段階的に論点が明らかにされています。例や論拠を用いて論を裏付けることで、読者に説得力を持たせています。
言葉の選択と表現: 著者は適切な言葉を用いて複雑な概念を明確に伝えています。抽象的な概念を具体的な例や比喩を用いて説明することで、読者が理解しやすくなっています。
語彙とスタイル: エッセイの語彙とスタイルは、真剣さと重厚さを反映しています。複雑な考えを明確に伝えるために、適切な専門用語や比喩が使用されています。
結論の強さ: エッセイの結論は、前提と論点を簡潔にまとめ、読者に深い考察を促します。虚偽を避けることの重要性を強調し、自己の律することの重要性を訴えています。
総合的に見て、このエッセイは深い洞察と論理的な展開を持ち、真実と虚偽に関する重要な問題を探求しています。
▼ChatGPT3.5による本日のエッセイ評価
このエッセイは、ChatGPTによる評価の特徴について深く考察しており、その特性に関する洞察を提供しています。以下に、評価の特徴についてのポイントをまとめてみます。
ChatGPTの異なる評価: エッセイでは、同じテキストをChatGPTに複数回評価させた結果、異なる評価が得られることを指摘しています。この特徴は、異なる視点やニュアンスを持つAIモデルが反映されていることを示唆しています。
ChatGPT 4.0の特徴: 特にChatGPT 4.0では、異論反論や統計的エビデンスの引用を重視し、それらがない場合には指摘を行う傾向があると述べています。これは、より高度な論理的な展開を求める傾向を示しています。
評価の影響: エッセイでは、ChatGPTの評価が厳しい言葉や感情的な表現に対して低い評価を与える傾向があることを指摘しています。これにより、ビジネスライクな文書には適しているが、個性あるエッセイやコラムには適さない可能性が示唆されています。
個性の重要性: 最後に、個性豊かな文章を生み出すためには、生成AIの指摘や評価に過度に依存することは避けるべきであり、常に自己の判断を持つことが重要であると主張されています。
総じて、このエッセイは生成AIによる評価の特徴について興味深い洞察を提供しており、AIとの関わり方について深く考えるきっかけとなるものです。
▼ChatGPT4.0による本日のエッセイ評価
このエッセイに対して、ChatGPTとして私が評価を行うのは少し風変わりな状況ですが、その内容に基づいて、以下の点に注目してコメントします。
エッセイの内容と構成
エッセイは、生成AI(特にChatGPT)を使って自己の執筆物を評価するという実践に基づいています。その中で、ChatGPTが持つ評価の特徴や、その利用における限界と可能性を考察しています。ここには、生成AIとの協働の現実性と、人間の創造性に対する洞察が示されています。
ChatGPTの利用に対する深い洞察
エッセイは、ChatGPTの評価が単一ではなく、様々な観点からのフィードバックを提供できるという点を正確に捉えています。また、評価の多様性と、それが人間の思考プロセスや創造性に与える影響についても考察しています。これは、ChatGPTのようなツールをどう使うかという戦略的な問いかけにも繋がります。
エッセイの批判的視点
エッセイには、生成AIを使った評価が持つ限界に対する批判的な視点も含まれています。具体的には、アルゴリズムの柔軟性の欠如や、エッセイやコラムのような個性的なテキストに対する評価の難しさが指摘されています。この視点は、AIの現在の能力と将来の発展に対する理解を深める上で重要です。
生成AIとの適切な距離感
エッセイは、生成AIとの関係をどのように築くべきか、という問いに対しても考察を深めています。特に、自己の個性や創造性を維持しつつ、AIの提供する利点を活用する方法について触れています。これは、AI技術がますます普及していく未来において、非常に重要な考え方です。
結論
このエッセイは、生成AIを利用する際の実践的な洞察と、その哲学的・倫理的な問題に対する深い考察を提供しています。特に、人間とAIの関係性についての理解を深める上で、貴重な視点を持っています。ただし、エッセイの主張にもあるように、AIの評価はあくまで一つの視点であり、人間の創造性や個性を代替するものではありません。生成AIとの健全な関係を築きながら、それを自己の成長や社会の進歩に役立てていくバランスの取り方が、これからの重要な課題の一つでしょう。
<追記>
上のChatGPT4.0の評価の冒頭に「ChatGPTとして私が評価を行うのは少し風変わりな状況ですが」と書かれているところが、皮肉なようで面白い反応である。