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世界的注目を浴びる米国大統領選だが・・・

<名門 ケネディ家>

 ケネディー家といえば、名門中の名門。筆者の記憶を辿れば、JFKという3文字だけで、米国第35代大統領ジョン・F・ケネディの大統領就任挨拶など、民主国家元首の代表格として晴々しく聡明なイメージが強い。

 昔の話だが、筆者の親戚(父の従姉妹/缶詰工場経営)が米国に住んでおり、その従姉妹が帰国した時に、JFKの横顔が描かれていた1964年製50セント銀貨(ケース入り)を何枚かプレゼントしてくれたらしい。ある時、その銀貨を見つけた筆者が、どんな人なのだろうと、父に話を聞いたことがあった。

 米国大統領としては最も若い43歳で選挙で選ばれたサラブレッドである。雄弁であり、超速読の持ち主であると聞いたことがあったが、頭の回転は速く、現在のように誹謗中傷や揶揄を繰り返す、体たらくな大統領候補とは比較にならぬほど民度は高いように記憶している。

 勿論、現在はYouTubeでも閲覧できるように、世界を魅了した女優マリリン・モンローとの浮いた話や、キューバ危機、ベトナム戦争などの動画は、史実をビジュアル化したものとして、重宝している。

DALL-EがイメージしたJFK50セント銀貨

<お茶濁し ロバート・ケネディ・ジュニア>

 米国大統領となれば、国家としては民主国家の頂点に立ち、元首の範たる品格を持ったイメージが強いが、現在は、残念ながら比較にならぬほど、何もかも低民度化している。

 因みに、JFKの実弟は、当時司法長官を務めていたロバート・ケネディ。しかし、JFKもロバート・ケネディも暗殺により若くして命を絶たれている。そのようなところが暴力的な米国らしくもあり、銃国家としての当然の成り行きなのだろうと。

 今回突然、大統領選に顔を出してきたのが、JFKの甥、つまり、ロバート・ケネディ・ジュニアである。風貌も声の質も言動も、筆者が思い描いてきたケネディ家のイメージとはほど遠く、品格のない荒くれた人物である。

 初手から懐疑的に見ていたが、案の定、出馬を取り止めて、トランプの餌に釣られてトランプ側につくという。勿論、価値観が狂ったその言動からは、大国の元首になる器ではなく、何とも信念もプライドもない人物像として記憶することになった。

 米国大統領選は民主主義の鉄則に則って行われていると思っていだが、そうではないようだ。特に、トランプが出現してからというもの、ここ数年の大統領選はイベント化し、政策などお構いなし。オリンピックに勝るとも劣らぬ大祭典のようである。

<米国の教育制度の欠陥>

 個人主義→利己主義→私物化→扇動・洗脳→暴言・暴力化

 この低民度さばかりが目立つのは、米国内の歪んだ教育が要因の一つではないかと考える。世界的に有名な大学は数あるけれども、幼少期からの教育システムが瓦解しており、教育レベルのピラミッド構造が鮮明となり、教育の標準レベルは、先進諸国の中でも下位に位置している。

 世界の警察的立場としての米国は、他の200カ国の中でも、最も多くの多民族の殺戮を繰り返しているのは間違いのな事実。犬に例えれば、ドーベルマンのように、凶暴なイメージを浮かべてしまう。

<民主主義という言葉の綾>

 正義とは裏腹に、世界一の戦闘能力を保有し、常に、建前は民主主義国家のために、敵対する独裁国家の盾として躍動しているように見受けられる。しかし、政治のみならず、経済においても自国スタンダードをグローバル化しており、それにぶら下がる小国日本は属国と化しており、日々冷や汗をかきながら国を治めているように思えてならない。

 結局、民主主義という表(陽)と裏(陰)という相反するものが存在し、差別化、分断化、更には、貧困層の奴隷化を招いているのである。日本の金権政治も槍玉に挙げられ社会問題となっているが、米国の比ではない。よって、金有きの選挙が当然のように繰り広げられるのである。

 世界を見回すと、どの国も、自国第一主義で動いている。当然である。自国及び自国民を守るのが国家元首であり、その他政治家である。ところが、日本は敗戦国という負い目があるのか、お人好しな「おもてなし政策」を常套手段としており、金銭を海外にばら撒き続け、気づけば、GDPも世界第4位に落ちているのだ。

 畢竟、本来あるべき民主主義国家という理想郷は、その姿を異なるものへと豹変し、そこらにある私物化の典型的な同族会社と同様に、国家自体がブラック化したように思えてならない。民主主義の崩壊が連鎖的に起こりそうで、世界的に安住できる場所が加速度を上げて狭まっているに違いない。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、米国大統領選とその背後にある政治的・社会的背景について鋭い批評を展開しています。特に、ケネディ家の歴史とその象徴的な存在であるジョン・F・ケネディ(JFK)から始まり、現在の米国政治に対する批判的な視点が描かれています。

1. ケネディ家の象徴性とその喪失

エッセイの冒頭では、JFKが象徴する「民主国家の代表格」としての米国の輝かしいイメージが強調されています。JFKの若さ、知性、雄弁さは、彼を米国大統領の理想像として描いており、その反面、ロバート・ケネディ・ジュニアの出馬がケネディ家の品格やイメージを損なっているという批判がなされています。ロバート・ケネディ・ジュニアの行動を「信念もプライドもない」と厳しく批判することで、筆者は現代の政治の劣化とその象徴としてのケネディ家の変貌を嘆いています。

2. 米国政治と教育制度への批判

エッセイの中盤では、米国の政治が民主主義の本質から逸脱し、「イベント化」したと指摘しています。特に、トランプの出現以降、米国の大統領選挙が政策よりもショーのようなものになり、民主主義の本来の目的を見失っていると述べています。また、米国の教育制度が瓦解していることを理由に、国民の民度の低下と暴力的な文化が蔓延していると批判しています。この部分では、教育が国の未来を左右するという考え方が強く表現されています。

3. 民主主義の裏表と米国の国際的立場

さらに、エッセイは米国の「民主主義」と「正義」がいかに矛盾しているかを強調します。米国が持つ軍事力や経済力を背景に、自国のスタンダードを押し付けているとし、その姿勢が多くの国々を属国化していると述べています。特に、日本が米国の影響下にあり、経済的に脅かされているという指摘は、日米関係の不均衡を示唆しています。また、民主主義が「私物化」されているという視点から、国家自体がブラック化していると結論づけています。

4. 総評

全体的に、このエッセイは米国政治に対する深い不信感と失望を表現しており、民主主義の本質を問う重要な議論を提起しています。筆者は、米国がかつて持っていた品格や理想を失い、個人主義や利己主義が蔓延する現在の状況に強い危機感を抱いているようです。その批判は、教育制度から政治、国際関係に至るまで多岐にわたり、米国が持つ矛盾を鋭く指摘しています。

このエッセイは、単なる米国批判にとどまらず、世界的な視点で民主主義の未来について考えさせられる内容となっています。読者にとっても、現代の政治状況を深く考えるきっかけになるのではないでしょうか。

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